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戦前(第二次世界大戦以前)までの活動

『大倉家第十代追懐叢事録』(松林院第二十三世 教道誌之氏、1935年刊)には、10代目の大倉治右衛門(1837年-1886年)が、「いつも木綿着物に草履ばきの出で立ちで、自身や家の事には極端に倹約」しながら、ひとたび陰徳を積む段になると支援を惜しまなかったことが記されています。

続く11代目の大倉恒吉(1874年-1950年)は、14歳にして家督を相続し当主となりました。家業が安定するまでの間に、地域の人々や同業者から受けた援助を後々まで忘れず、後年、報恩のための寄付や慈善事業を積極的に行うようになりました。

これらの例のように代々の経営者が、「質素倹約を旨として、営業は勤勉に、報恩を忘れず、家業に勤しんできた」(11代目の大倉恒吉による記録、『月桂冠三百六十年史』 1999年刊)ことが、当社の活動の源泉となり、代々伝承されてきました。

火災、水害時の活動

1. 消防署を誘致

応龍水慶応2年(1866年)を示す銘が記された、手動式消火ポンプ「応龍水」(月桂冠大倉記念館・蔵)

江戸時代には、「応龍水」(おうりゅうすい)と呼ぶ手動式消防ポンプを用意して、近隣火災のたびに出動していました。1921年(大正10年)には消防自動車(平井式消防ポンプ)を購入しました。昭和初期、当時の伏見市で消防署設置が持ち上がった際、市に土地を寄付し、現在の伏見消防署・南浜消防出張所が置かれました。

2. 濠川氾濫のたび近隣へ非常食を舟で配る

宇治川の上流に天ヶ瀬ダムができるまで、月桂冠本社周辺(京都市伏見区)はたびたび洪水に見まわれました。その際に、にぎり飯を総動員で作り、2隻の舟で冠水した家々に配って回ったと伝えられています(『大倉家第十代追懐叢事録』より)。

京都府立医大伏見分院(旧伏見町立病院)を設立のため土地や資金を寄付

大倉恒吉11代目・大倉恒吉(おおくら・つねきち、1874~1950年)

1923年(大正12年)、11代目の大倉恒吉は、伏見に病院をつくるための土地(1,228坪)と資金(10万円)を当時の伏見町に寄付、これをもとにして伏見の村上町、西大手町、周防町にまたがる土地に、1924年、伏見町立病院が建設されました。その後も恒吉は土地や資金を追加し寄付を続けました(1943年からは京都府の施設となり、1997年まで府立病院として開院されていました)。

御香宮境内に参集館(地域公会堂)を建設

1934年、伏見地区の集会所として御香宮神社境内に参集館が建設されるにあたり、その費用を寄付しました。

奨学資金を寄贈

11代目の大倉恒吉は、昭和5年(1930年)頃から、成績優秀な学生へ奨学金、学資金の支給を始めました。学費補助を受けた京都府立第一、第二中学校、京都第三高等学校などの学生は、卒業後も上級学校への進学などの際に、必ず恒吉へ礼状と近況報告の手紙を送るなど学費援助を通しての結びつきは深かったといいます(『月桂冠三百六十年史』1999年より)。

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