写真〔1〕 もともとの「銚子」(手前、長さ48センチ、高さ12.5センチ、幅27.5センチ)と「提子」(後方、長さ22.2センチ、高さ20.8センチ、幅15.5センチ)。いずれも金銅製。鶴と亀の模様が刻まれており「金銅鶴亀文長柄銚子」「金銅鶴亀文提子」と呼ばれる(月桂冠大倉記念館・蔵)
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銚子と提子(ひさげ)

写真〔2〕 蒔絵銚子(江戸時代後期、月桂冠大倉記念館・蔵)
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「お銚子1本!」という言葉をよく聞くが、もともと「銚子」とは、あらたまった酒宴や三三九度などの儀式に用いる、長い柄(え)のついた金属や木製の器のことである。宮廷の祝宴で使われた銚子は一箇所に注ぎ口のある片口である。大勢で酒盛りをする時など略式では両口のものを用い、左右の口から盃に注いだ。
樽から取り出した酒は、「提子」と呼ぶ上部に取っ手のついた器に移し、「銚子」の酒が足りなくなると酒を加え補充する。そのため「提子」は「くわえ」とも呼ばれ、銚子の補助的な容器だった。
桃山時代(16世紀末)には、蓋(ふた)付きの提子があらわれた。提子は湯や汁用などにも使われたが、特に酒用の提子を江戸時代前期から「銚子」と呼び、直接、盃に注ぐようになった。「銚子」は、鉄や錫・木製に加え、天保年間(1830~1844年頃)には、陶製のものが使われはじめた。同じ頃、磁器の使用が広まると、カラフルな色絵や染付けを施した磁製の銚子もよく使われるようになった。
徳利

写真〔3〕 左から「大徳利」、「燗徳利」(いずれも月桂冠大倉記念館・蔵)
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「徳利」は酒を神棚に供えるための瓶子(へいし)が変化したものである。室町時代にはすでに「とくり」という呼び名があった。二升、三升もの「大徳利」が、酒だけでなく醤油や酢など液体や穀物の運搬、貯蔵に用いられていた(写真〔3〕左)。江戸時代には一~二合程度の小さな徳利が普及しはじめ、徳利から直接盃に注いで飲むようになった。小型の「燗徳利」(写真〔3〕右)を「銚子」とも呼ぶようになったのは明治時代以降のようだ。
(参考・引用文献)
・鈴木規夫「酒器の起源と移り変わり」『徳利と盃』別冊太陽・骨董を楽しむ1、平凡社(1994)
・森太郎「日本の酒器」『世界の酒の履歴書』シリーズ◆酒の文化第2巻、社団法人アルコール健康医学協会編(1997)
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