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寒造りの確立と杜氏の発生 勘と経験を駆使した技能集団による酒造り(江戸時代)

寒造りの確立と杜氏の発生
勘と経験を駆使した技能集団による酒造り(江戸時代)

酒の産業を知る - 日本酒造史

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江戸期には、冬季だけの半季奉公によって酒をつくる技能集団「杜氏制度」が発生し、以後杜氏たちの積み重ねた経験とカンから、精徴な技が生み出され、数多くの流儀が形成されていきました。
まだ温度計も顕微鏡も知らなかった杜氏たちは、発酵状態の微妙な変化を、香味の移り変わり、肌に感じる温度変化などを、とぎすまされた官能によって的確に把握し、複雑な手法を次々とあみ出していきました。

もともと年間を通じて造られていた酒

1年で最も寒い12月から2月頃までを中心とする冬場に酒を造ることを「寒造り」といいます。現在でも多くの酒蔵が冬場を中心に酒造りを行っており、「日本酒は冬季に造られるもの」とのイメージがあります。
しかし、酒はもともと年間を通じて造られていました。古代日本では、人々は事あるごとに神々や祖先の霊を祀り、その都度、捧げ物として酒が造られ、神祭りの際にその場で飲み干されてきました。日本の気候は四季によって大きく変るため、春夏秋冬の季節に応じた醸造技術が編み出されました。江戸時代半ばには、「菩提酒」(旧7月・8月)、「新酒」(旧7月から9月)、「間酒」(旧10月頃)、「寒前酒」(旧11月・12月)、「寒酒」(旧11月から1月末)、「春酒」(旧2月から3月)など、酒の名称も生まれました。

享保3年(1718年)勘定帳▲月桂冠に現存する最古の「享保3年(1718年)勘定帳」。当時、新酒、古酒、合酒、煮込酒、南蛮酒(赤い矢印の項目)など、年間を通して、さまざまな種類の酒を造り商ったことが記されている

寒造り

江戸時代の中ばになると、しぼったお酒をある程度腐らさずに貯蔵出来るようになったため、多くの酒蔵が、酒を造りやすく、酒質の向上もはかりやすい冬季の醸造を採用しました。さらに、米の凶作を理由に減醸令(酒造制限)や飲酒抑制などの政策が実施されたこともあり、酒造りは冬季に集中し、寒造りの技法が確立されました。

江戸時代の通い徳利(陶製)▲「ふしみ」(左)、月桂冠の前身となる「かさぎや」(笠置屋、右)の屋号が、波立杭焼の鉄釉の化粧地に書かれた江戸時代の通い徳利(陶製)。量り売り(はかりうり)や酒質見本の運搬などに使われていた。徳利の大きさは、四合(720mL)前後から一升(1800mL)以上入るものまでさまざま。江戸時代後期になると、徳利は次第に小型化し、飲用に二合半(450ミリリットル)の徳利が多く用いられるようになった

杜氏の発生は江戸時代なかばから

寒造りの確立に伴い、冬の農閑期・漁閑期に酒屋へ出稼ぎする杜氏・蔵人が発生するようになりました。こうした経緯から次第に寒造りが主流となって今日に至っています。

【参考・引用文献】
  • 栗山一秀 「世界の酒―その種類と醸造法,歴史と本質と効用―」 『アルコールと栄養』 光生館 (1992年)
    ※本文は著者の了承を得て、敬体の文に変え掲載しています。
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