検索
メニュー
 

展示場・展示品

びん詰酒と全国への販売

明治と時代が変わると、伏見の酒は全国への広がりを見せるようになります。花鳥風月を取り入れた酒銘の多かった中、11代目当主・大倉恒吉の時代、勝利と栄光のシンボル「月桂冠」を採用、酒造研究所を設立するなど、新たな取り組みに次々と着手していきました。特に、びん詰酒には力を入れ、当社元詰めによりお客様へお届けするだけでなく、防腐剤の入らない酒やアウトドア商品の先がけとなるコップ付小びんの開発、紫外線による品質劣化を防ぐ褐色びんの採用、デザイナーの起用による欧風調デザインの黒褐色びん詰酒の海外博覧会への出品など、次々と新たなアイデアを実行していきました。

コップ付き小びん

明治末期の1910年(明治43年)、どこでも飲める「コップ付き小びん」として考案し、実用新案登録した商品。うち1本には、当時詰めた酒が半分ほど残った状態で展示しています。
キャップをひっくり返すとそのまま猪口になるもので、今日のアウトドア商品の先駆けといえるアイデア商品です。これが、「駅売酒」として当時の鉄道院(国有鉄道)で採用され、駅売酒の草分けとなりました。
1912年には71駅で700石(1石は180リットル)販売されていたものが、翌1913年には88駅、2,520石と、旅行客の好評を得て急増しました。当初は関西の駅での販売が中心でしたが、北陸線や山陰線、東海道線、山陽線、鹿児島本線、その後、関東、東北地方まで、取り扱い駅が広がっていきました。当時の鉄道網の広がりと共に、月桂冠の名を全国に知らせることにもなりました。  
コップ付き小びんの容姿を復刻した「吟醸酒 ザ・レトロ」を、当館で限定販売しています。

→お土産品のコーナー

コップ付き小びん

欧風調のびん詰酒

1915年(大正15年)開催の米国・サンフランシスコ万国博覧会に出品した「月桂冠黒褐色四合壜」。ラベルは洋風の凝った意匠で、月桂冠の輪の中に、王冠と月桂冠の文字を浮かせ、その下に、英語で「日本の清酒、醸造者・京都伏見の大倉恒吉」と記しています。
陶芸家であり図案家の澤田宗山(1881-1963)がデザインしたものです。澤田宗山は、1904年(明治37年)、東京美術学校図案科在学中に渡米、米国で工芸図案の研究を進め、1908年(明治41年)に帰国、「澤田図案所」(のちに「宗和園」と改称)を開設しました。
11代目の当主・大倉恒吉は、澤田宗山に、1911年(明治44年)発売した駅売りの「コップ付小びん」の意匠などの制作を依頼、大阪駅をはじめ各所に出した月桂冠の看板や印菰、団扇など、明治末期から昭和初期に至るまで、当社の数多くのデザインを手掛けました。

欧風調のびん詰酒

褐色びんの採用

日本酒は光にさらされると色や香りが変化してしまいます。紫外線の影響で、酒中の成分が分解され品質に悪影響を及ぼしてしまうためです。かつて、日本酒の容器には青みがかった透明びんが用いられていました。
日本酒の品質保持には紫外線(波長400ナノメーター以下の光)をさえぎることが必要であり、褐色びんが最良であることが、醸造試験所や当社の研究により確認されました。当社では、その研究の結果を受け、1928年(昭和3年)、昭和の大礼を記念する商品を一升入りの「ブラウンびん」で発売したとの記録があります。
写真の商品は四合(720ミリリットル)容の褐色びんで、肩ラベルに「大倉恒吉監造」とあることから、「株式会社大倉恒吉商店」として株式会社化した1927年(昭和2年)以前、褐色びん入りの商品が一部存在していたようです。市場の商品が本格的に色付きびんに切り替えられて行くのは昭和40年代後半(1960年代後半)からです。

褐色びんの採用

ディスプレイ用一斗びん

一升びん10本分の酒が入る、大きなガラス製の1斗びん。酒を詰めて販売するための容器ではなく、ディスプレイ用につくられたものです。大振りの樽詰酒に負けない容姿にして、小売店頭でびん詰酒をアピールしました。高さ76.8センチメートル、胴部の直径70センチメートル、容量18リットル。
月桂冠では、明治期の樽詰め全盛の時代から、びん詰酒の販売に力を入れはじめました。1909年(明治42年)にびん詰工場を新設、1910年に駅売りのコップ付小びんを発売、1911年には防腐剤の入らないびん詰め酒を発売、1928年には品質保持のための褐色びんを採用、1931年には本格的びん詰めプラントを設置するなど、品質向上とびん詰め商品のアピールに努めました。

ディスプレイ用一斗びん

大正期の中吊り広告「防腐剤なし」

大正初期のものと伝えられる電車の中吊り広告。「防腐剤の絶対に入らぬ 特製壜詰月桂冠」をアピールするものです。手書き風の文字で「一壜ごとに大坂衛生試験所の封緘を貼付して絶対に防腐剤なきを証明す」とあります。
日本酒の防腐剤(サリチル酸)の使用は、1969年(昭和44年)以降全廃されましたが、月桂冠ではすでに1911年(明治44年)、日本で初めて防腐剤の入らない清酒の開発に成功し、商品化していました。1909年(明治42年)の研究所開設以来、殺菌条件等の科学的解明に取り組んできたことによるものです。広告にある「絶対に」を証明するため、当時の大坂市立衛生試験所の技術者による検査を受け、一びんごとに封緘を貼り付け出荷しました。
蔵元のびん詰による防腐剤の入らない日本酒は、特に当時のサラリーマン層に支持され、家庭での晩酌に好んで用いられたようです。広告は縦20センチメートル、横68センチメートル。

大正期の中吊り広告「防腐剤なし」

店頭看板

欅(けやき)の一枚板に、「最優等清酒」の金文字のタイトル、ハイカラな「月桂冠」の酒銘、斬新なデザインで彩りも鮮やかなびんが2本描かれ、「市立大阪衛生試験所 防腐剤入ラズ証明付」との表示があります。
左は「口金付き」または「機械びん」とも呼ばれたびん詰です。冠頭には「大倉壜詰部封證」の封緘に続け、防腐剤の入らない酒であることを示す「大阪市立衛生試験所検査之証」との証明印紙を貼り付けています。ラベルのデザインは現在の上撰に受け継がれています。右は鉄道院(国有鉄道)の駅売り酒指定の第1号となった、実用新案登録の「コップ付き小びん」です。
看板は、京都市内の販売所(現在の月桂冠・京都支店)の店頭に掲げられていたもので、大正初期のものだと思われます。縦145センチメートル、横84.5センチメートル、厚さ6.3センチメートル。当館エントランスに掲げています。

店頭看板

野球小僧

酒販店さんの店頭で、びん詰をアピールするスタンド看板。1934年(昭和9年)に来日した、アメリカ大リーグのホームラン王ベーブ・ルースにちなんで制作されました。
白色のユニフォーム、丸に「月」マーク入りの帽子に一本線のソックス、バットのかわりに「月桂冠」のロゴを大書した茶色のびん詰め酒を持たせ、封には王冠がデザインされています。看板は全高185cm(小僧の身長106cm)、幅55cmで木製シルク印刷。
月桂冠では、明治期の樽詰め全盛の時代から、びん詰酒の販売に力を入れはじめました。1909年(明治42年)にびん詰工場を新設、1910年に駅売りのコップ付小びんを発売、1911年には防腐剤の入らないびん詰め酒を発売、1928年には品質保持のための褐色びんを採用、1931年には本格的びん詰めプラントを設置するなど、品質向上とびん詰め商品のアピールに努めました。

野球小僧
ページのトップへ