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展示場・展示品

明治期からの発展

江戸送りの酒として大きな発展を遂げていた酒どころ・灘の立地に比べれば、伏見は内陸に位置しており、月桂冠の前身となる笠置屋も、代々地元を中心に商っていました。
明治期に当主となった11代目の大倉恒吉は1905年「月桂冠」を商標登録、1907年には研究所を設立し酒造りに科学技術を導入し、樽詰が全盛だった時代、びん詰酒に力を入れるようになります。広がりつつあった鉄道網に乗せ、東京方面をはじめ全国に販売を試みました。その中で、駅売酒として採用された「コップ付き小びん」などの商品も生まれました。鉄道での販売や、博覧会での数々の入賞などにより、「月桂冠」が広く知られていきます。 事業の発展にともない、伏見にあった大名屋敷跡などに次々と酒蔵を増設し、生産体制を整えていきました。もともと、昭和蔵(京都市伏見区片原町)は紀州藩、北蔵(同・下板橋町)は尾州藩、大賞蔵(同・東堺町、現在の松山酒造)は薩摩藩の伏見屋敷でした。
江戸時代の笠置屋の生産量はおよそ500石(1石は180リットル、一升びんで5万本ほど)でしたが、11代目・大倉恒吉の時代には、その100倍の50,000石にまで伸ばしました。

明治期の月桂冠酒蔵風景

濠川(ほりかわ、ごうかわ)、宇治川派流の名で、現在も伏見の街を流れる運河から眺めた月桂冠の酒蔵風景。川面に浮かぶ舟から、米俵が荷揚げされています。1909年(明治42年)に撮影されました。運河はもともと、1594年に伏見城が築城された際、宇治川の水を引き込んで築かれた外濠でした。
手前の蔵は、明治30年代、大倉家本宅西側に増設された西蔵で、その後、月桂冠・本店事務所として1993年(平成5年)8月まで使っていました。その先には、切妻屋根が3棟連なる白壁土蔵の南蔵(現在の内蔵)、びん詰工場(現在の月桂冠大倉記念館)が続いています。酒蔵群の様子は現在もほとんど変わらず、酒どころ伏見を象徴する風景として親しまれています。
江戸時代の伏見港は、京と大坂を結ぶ交通の拠点として、三十石船、二十石船、十五石船、高瀬船など2千隻もの船舶が就航、旅客や物資が往来し、にぎわいを見せていました。

明治期の月桂冠酒蔵風景

大倉家本宅(大正初期)

1828年(文政11年)、8代目・大倉治右衛門の時代に建てられた居宅兼店舗および酒蔵で、大正初期(1910年代)に撮影されました。築180年以上を経た現在も、そのままの居様を残しています。1637年(寛永14年)、初代の大倉治右衛門が「笠置屋」の屋号で酒屋を創業した地でもあります。
内部には米の洗い場、吹き抜け天井の小屋組み、商いに使われた座敷など、昔ながらの酒屋のたたずまいを残しています。表構えに、虫籠窓(むしこまど)、太めの木材を組み合わせた酒屋格子(さかやごうし)が見られます。酒屋格子は、日々のていねいな拭き掃除により、角材は丸みを帯びるようになりました。<(京都)市内では最大規模に属する町屋>とも言われています(京都市文化観光局文化部文化財保護課・編『京の住まい-地域の文化財としての民家-』、1993年)。
1868年(慶応4年)新春に勃発した鳥羽伏見の戦では、通りをへだて北側の建物や、その並びの船宿、町家の多くは焼失しましたが、大倉家本宅は羅災をまぬがれました。
写真中央の石柱には「右 京」「左 大坂 舟のり場」と刻まれています。江戸時代の伏見は、京と大坂を結ぶ交通の要衝であり、城下町、港町、宿場町としてにぎわっていました。

大倉家本宅(大正初期)

初期のびん詰工場

1909年(明治42年)2月に稼動した、本材木町の工場(現在の記念館)でのびん詰めの様子。充填器に酒を送り、そこから伸びた管を通して、人手により一本一本びんに詰めていました。
11代目の大倉恒吉(1874-1950)は、通い徳利で販売する量り売り(はかりうり)に代わる、びん詰の商品に関心を持って取り組んでいました。すでに1899年(明治32年)の勘定帳にはびん詰に使う用品が計上されていました。
1909年(明治42年)新設した大倉酒造研究所では、びん詰酒の殺菌条件の研究を進めていました。その成果をもとにした容器管理方法などの技術革新により、1911年(明治44年)には、防腐剤なしのびん詰酒を実現しました。さらに、アウトドア商品の先がけとなるコップ付小びんの開発、紫外線による品質劣化を防ぐ褐色びんの採用、デザイナーの起用による欧風調デザインの黒褐色びん詰酒を海外の博覧会に出品するなど、びん詰商品の新たなアイデアを次々と実行していきました。

初期のびん詰工場

大倉恒吉と研究所の飾り棚

11代目の大倉恒吉(1874-1950)、38歳当時の肖像で、1912年(明治45年)に、北蔵(京都市伏見区下板橋町)構内の「大倉酒造研究所」で撮影されました。飾り棚は、水平断面が三角形であることから「三角棚」とも呼ばれ、部屋のコーナーに置けるようになっています。前面にガラスを入れた両開きの扉があります。棚上部の幕板には、中央に日本国旗、その左右に当社創業当時からの笠置屋のマークがデザインされています。この飾り棚は、現在当館で展示しています。
1907年(明治40年)、国の醸造試験所(現在の酒類総合研究所)から派遣された技官が北蔵にひと冬滞在し、醸造法の研究調査を行いました。当時最新の科学技術を用いた研究の様子を見ていた大倉恒吉は、酒造りに科学的な管理技術を取り入れる必要性を痛感、1909年(明治42年)、「大倉酒造研究所」(現在の月桂冠総合研究所)を設立しました。
以来、1911年(明治44年)には防腐剤を使わないびん詰酒の商品化、年間を通して酒造りを行う四季醸造システムを備えた酒蔵の完成など、品質や酒造技術の向上につながる研究開発を続け、2009年(平成21年)に開設100周年を迎えました。

大倉恒吉と研究所の飾り棚

大正御大礼納入

1915年(大正4年)の天皇御即位大礼の御用酒を京都御所へ納入するため大倉家本宅前を出発する際に撮影されました。大八車3台に菰巻の酒樽を積み込んでいます。中央のシルクハットの人物が11代目・大倉恒吉(1874-1950)です。
内閣書記官室記録課『大禮記録』(1933年=大正8年)に、月桂冠は「大饗第一日ノ玉饌及び三次ノ賜宴ニ用ヒ」とあり、当時の博覧会などでの入賞実績や御買い上げの実績に基づき御用にあずかったことが記録されています。
江戸後期の笠置屋時代には、御用酒を納める禁裏御用商人となり、禁裏御所や仙洞御所に出入りしていました。その後、宮内省の御用達制度により、御用達酒としてとり上げられ、その継続に関して1927年(昭和2年)提出した書類が当社に残されています。
なお、宮内省御用達制度そのものは、1954年(昭和29年)に廃止されました。

大正御大礼納入

旧本店

数少ない大正時代の建物で、1919年(大正8年)に建てられました。当時のままの外観を残しており、1993年(平成5年)8月に新本社ができるまでは月桂冠の本店として使っていました。
建物の周囲は、壁の足元を守る犬矢来(いぬやらい)がとりまき、表玄関には石段や石囲いが施されています。宇治川の氾濫による水害から建物を守るため、床面は道路より1メートルほど高い位置にあります。江戸時代の建物に比べると天井が高く、和風建築でありながら、この時代の特徴といわれる洋風建築の工法を取り入れた箇所が随所に見られます。
現在は、地域の街づくり会社・伏見夢工房が「おくつろぎ処・おみやげ処・あんない処 伏見夢百衆(ふしみゆめひゃくしゅう)」として、喫茶、土産販売・観光案内所を運営しています(TEL:075-623-1360)。

旧本店

昭和蔵

紀州藩伏見屋敷跡(京都市伏見区片原町)、約一万坪(33,000平方メートル)に、1921年(大正10年)から当社関連の酒蔵を増設していきました。この一角に1927年(昭和2年)昭和蔵を建造、当時としては珍しい冷房付き鉄筋コンクリート2階建ての酒蔵です(南側から撮影)。
この蔵の特徴は、冷房による室内の温度管理を可能にしたことです。当時、日本にはまだ1、2基しか導入されていなかった、アメリカ・ヨーク社製冷却機を据え、2階の発酵室には冷却用の配管を巡らせています。蔵の中央には大桶などを運ぶ貨物専用のドイツ・シュミット社製のエレベーターを設けています。総工費は、当時の金額で16万円を要しました。
昭和蔵では、1928年(昭和3年)、天皇御即位大礼のための御用酒を醸造し、京都御所にお納めしました。この蔵では現在も酒造りを行っています。2007年11月には経済産業省の「近代化産業遺産」にも認定されています。
昭和蔵構内には、1941年(昭和6年)、本格的びん詰めラインを設置したドーム型屋根の建物が現在も残り、小容量から一升までのびん詰、パック詰めのラインが稼動しています。

昔の帳場

昭和御大礼納入

1928年(昭和3年)11月、天皇御即位大礼の御用酒納入のため、当時の本店前から出発する際に撮影されました。
フォード社製のトラックの荷台を囲むように注連縄(しめなわ)を張り、「大礼使用酒」と記した木札を立てています。中央の人物は11代目の大倉恒吉(1874-1950)、右はこの前年常務に就任した12代目の大倉治一(1899-1992)。
御用酒は、1927年(昭和2年)11月20日に完成した昭和蔵(京都市伏見区片原町)で醸しました。昭和蔵は、当時としては珍しい冷房付き鉄筋コンクリート造り2階建ての酒蔵です。ここで醸造した酒を1928年(昭和3年)1月21日にしぼり、秋まで熟成させ、京都御所へお納めしました。

昭和御大礼納入

ドーム型びん詰工場

1931年(昭和6年)、昭和蔵(京都市伏見区片原町)構内に設置した、鉄骨ドーム型の本格的びん詰工場。
10本ずつ束ねた空びんを入荷、自動的にびんを洗い、殺菌した後、1時間あたりの1,000本のスピードで詰められるラインで、業界でも新鋭の設備でした。一升びんに詰めた酒は18本入りの木箱に詰め、最寄りの国鉄・桃山駅から、蒸気機関車で全国に出荷されて行きました。当時、市場ではまだ樽詰酒が6割を占めていましたが、当社ではびん詰酒の比率を高めていきました。
このラインができるまでは、1909年(明治42年)に設置した初期のびん詰め工場(京都市伏見区本材木町、現在の月桂冠大倉記念館の建物)を使っていました。
鉄骨ドーム型の建物は、現在も残され、一升びんやパック詰めのラインが稼動しています。

ドーム型びん詰工場

大手蔵

1961年(昭和36年)に、日本で初めて四季醸造システムを備えた酒蔵を完成させました。年間を通じて品質の良い酒を安定して造ることができようになりました。温度と湿度を制御し、微生物を管理すると共に、蒸米、麹づくり、酒しぼりなど全工程の自動化・機械化・連続化を徹底して進めました。発酵タンクは冷却のために二重構造にするなど、設備の面でも大きく進歩しました。
古来、酒造りは年間を通じて行われ、四季折々の多彩な酒や、気候にあわせた醸造技術も生み出されました。冬だけに限られるようになったのは1600年代以降で、幕府の酒造制限、農閑期の杜氏蔵人による季節労働とあいまって、寒造りに集中するようになりました。
四季醸造の実現により、夏場のしぼりたて生酒など年間を通じて市場の求める多彩な商品の供給も可能になりました。また、産業構造が大きく変化する中で杜氏蔵人の後継者は減少していますが、年間雇用の社員が酒を造り、技術を伝承する体制をとることができました。
さらに、1989年(平成元年)設立した米国月桂冠(カリフォルニア州)では、日本で培った四季醸造の技術と、その後開発した新規技術をベースにした酒蔵を構え、環境の異なる海外での生産体制を確立しました。米国月桂冠からは米国内だけでなく、同じ北米のカナダ、南米、欧州などへも商品を供給しています。

大手蔵
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