検索
メニュー
 

展示場・展示品

歴史を物語る書画・ポスター

頼山陽、小石元瑞らの文化人たちが宴席に誘い合う江戸期の書状や、鳥瞰図の第一人者・吉田初三郎による「月桂冠伏見本店景観図」、歌人・吉井勇、俳人・阿波野青畝による月桂冠を詠んだ歌など、当社ゆかりの作品が残されています。雑誌『主婦之友』の表紙を担当していた日本画家・松田富喬(とみたか)による、昭和初期の商業ポスターの原図も展示しています。

宴席に誘う回覧状(頼山陽)

頼山陽(らい・さんよう、1780-1832)や小石元瑞(こいし・げんすい、1784-1849)らが、宴席に誘いあうためにやりとりした2通の回覧状。「只今、大きな鮟鱇(あんこう)が手に入りました」「なにとぞ今夕おいでくださいませんか」「このような大物は再び手に入れるのは難しいかと思います」「尾州味噌も提げていく」(いずれも意訳)といっては肴を持ち寄り、酒を交えて学者や文人たちが親しく交流していた様子がうかがえます。
頼山陽は江戸後期の歴史家であり陽明学者で、「日本外史」などを著しました。この書状には本名の「襄」(のぼる)の署名が見られます。小石元瑞は江戸後期の蘭学者・蘭方医で、「解体新書」の著した杉田玄白の弟子、大槻玄沢より蘭医学を学びました。「大倉師」「倉公」とあるのは、当社を創業した大倉家の遠縁で、本家筋の第8代大倉治郎左衛門(1785-1850)を指し、「笠山」(りっさん・りゅうざん)の号をもつ画家。詩人・梁川星巌(やながわ・せいがん、1789-1858)の名も見られます。

宴席に誘う回覧状(頼山陽)

大倉笠山「梅花之図」

江戸後期の画家・大倉笠山(りっさん・りゅうざん、1785-1850)が、天に向かって伸びゆく梅の若枝と空間の静けさを描いた、天保十三年(1842年)初秋の作品。笠山は、親交のあった頼山陽に詩を、中林竹洞に山水画・花鳥画を学びました。
漢詩は笠山の妻・袖蘭(しゅうらん)によるもので、「霜の早朝に起きて互いに詩を吟じる。青みを帯びた欄干によりかかる寒梅をながめていると清々しい香りが衣にまで迫ってくる」との意味があります。
笠山は山城国笠置(現在の京都府相楽郡笠置町)に生まれました。笠山は大倉家本家の第8代大倉治右衛門であり、笠置を出身地とする当社創業家の大倉家とは遠縁にあたります。縦123センチメートル、横29センチメートル。

大倉笠山「梅花之図」

吉田初三郎・作、酒蔵群の鳥瞰屏風図

桃山御陵、伏見稲荷を背景に、伏見城の外堀・濠川(ほりかわ)に沿って建ち並ぶ月桂冠の本店や酒蔵を絹地の二曲一双屏風に描いた鳥瞰図(一部を拡大)。「大正の広重」と称され、鳥瞰図の第一人者・吉田初三郎(1884-1955)による1931年(昭和6年)の作品。
一曲には月桂冠本店と白壁土蔵の内蔵を、別の一曲[写真]には、紀州藩伏見屋敷の跡に建つ昭和蔵を中心に、薩摩藩伏見屋敷跡の大賞蔵(現、関連会社・松山酒造)、尾州藩屋敷跡の北蔵が描かれています。昭和蔵は、1927年(昭和2年)建造した日本初の冷房付き鉄筋コンクリート造りの酒蔵。同じ昭和蔵構内には、1931年に稼動した鉄骨ドーム型の本格的びん詰工場も見られます。
月桂冠のラベル印刷を手掛ける和多田印刷株式会社の初代社長・和多田与太郎氏(故人)から月桂冠に贈呈されたものです。屏風の外寸は縦172センチメートル、横189センチメートル。絵図は縦129.5センチメートル、横157センチメートル。

※写真は部分拡大図。記念館ではパネル写真を展示。

吉田初三郎・作、酒蔵群の鳥瞰屏風図

吉井勇の酒歌

「おのつから 天の造れるよき酒と 月桂冠をたたへぬるかな 勇」。
明治・大正・昭和期の耽美派を代表する歌人・吉井勇(1886-1960)の書。祇園白川のほとりに建つ吉井氏の歌碑「かにかくに 祇園はこひし寝るときも 枕のしたを水のながるる」はことに有名です。
酒を豪快に嗜まれたとのエピソードもあります。1948年(昭和23年)の早春に、御夫人を同伴で月桂冠の昭和蔵(京都市伏見区片原町)に立ち寄られました。38石タンク(約6800リットル)をご覧になった際、「タンク1本は飲まれているのでは?」との当社から問いに、「そうかもしれません」と一笑されたとのエピソードも残っています。
この掛軸は、当社の元役員・山本玉城氏の夫人から寄贈されたもの。掛軸は縦192センチメートル、横40センチメートル。

吉井勇の酒歌

阿波野青畝の掛軸

「大嘗会 御用に建てし酒の蔵 青畝」。
1927年(昭和2年)建造された「昭和蔵」を、俳人・阿波野青畝(1899-1992)が詠み込んだ句。昭和蔵は、天皇即位式と大嘗会式典の御用酒を醸すために建てられました。当時としては珍しい冷房付き鉄筋コンクリート2階建ての酒蔵。同氏は高浜虚子の門下にあって、水原秋桜子、高野泰十、山口誓子とともに「昭和の4S」と称された日本を代表する俳人。
米寿を迎えられた年(1948年=昭和23年)に、当社が特にお願いして揮毫していただいたものです。掛軸は縦201センチメートル、横78センチメートル。

阿波野青畝の掛軸

広告ポスターの原画

昭和初期(1934年・同35年=昭和9年・10年頃制作)の広告ポスターの原画。雑誌『主婦之友』の表紙も担当していた日本画家・松田富喬(とみたか)が揮毫。着物姿で親しみのある笑顔をたたえる女性の背景には、当時、販売に力を入れていた褐色の一升びん詰の商品が描かれています。縦96センチメートル、横63センチメートル。
当社の研究所では、従来、酒の販売容器として使われていた透明の青色びんに比べ、褐色びんは紫外線をカットし酒の劣化を防ぐことを1928年(昭和3年)確認しました。同年、褐色の一升びんに詰めた商品を発売、<多年研究の結果芳醇なる香味を保持する(中略)「ブラオン壜」(ブラウン壜)を発売す>として品質の良さをアピールしていました。

広告ポスターの原画
ページのトップへ