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ききちょこ

酒の風味の移り変わり
食文化の移り変わり、酒造技術の洗練で濃醇から淡麗へ

清酒を知る - 清酒産業

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日本酒の風味は、ひと所にとどまらず、時代とともに移り変わり現在に至っています。その変化は、「濃醇」から「淡麗」へ一気に移ったのではなく、嗜好の変化、食文化の推移、産地の発展、酒造技術の進歩などが要因となり、全国で多様な酒を生み出しながら大きく動いてきました。

時代とともに移り変わる嗜好

日本の酒づくりは、古代のにごり酒、浄酒(すみざけ)から幾多の変遷をくり返し、ようやく室町末期から桃山時代になって、今日の酒づくりの基本型がつくりあげられた。
伏見に大城下町が造営されるに伴って、京や堺の酒屋が集められ、酒産地としてもその名をはせるに至った。しかし江戸時代に入ると、伊丹・池田の酒が興隆、「濃醇・甘口」を特徴とする「丹醸」の酒が、「下り酒」として江戸の市中で一世を風靡(ふうび)するようになった。
それが江戸時代も後期になると灘が台頭、百万を越すに至った江戸の人々の嗜好の変化をとらえた「薄造り」による「淡麗・辛口」の酒を造りだし、この技術革新は幕末に完成した。ただ、武士の間では、なお「濃醇・甘口」の「丹醸」が好まれたが、やがて町人達によって、「淡麗・辛口」の「灘酒」が江戸市場を席巻するに至った。 明治になって、世情が落ち着きをとり戻すと、今度は「濃醇・辛口」が主流となっていったが、その後の醸造技術の急速な進歩によって、酒に含まれる酸が減少し、嗜好も徐々に辛口から離れていった。
ちょうどその頃、江戸時代には城下町、宿場町の地酒であった「伏見酒」も、ようやく東京への進出を果たした。千年の京の文化の中で洗練された伏見の酒の「淡麗・うま口」が、新都・東京の人々にも受け入れられるようになり、全国銘柄への道を歩みはじめた。
現在は、醸造技術の飛躍的な進歩もあって、その風味もきわめて多様なものが次々と生まれてきた。特に最近は、豊醇なヘビ-タイプから、シンプルでライトなタイプへという社会全体の流れの中で、日本酒の嗜好も「淡麗・辛口」の方へと動いてきた。

【出典】
  • 栗山一秀 「(連載)日本酒のこころとかたち」 『酒販ニュース』 醸造産業新聞社 (1996年7月21日)

当時の国鉄・奈良線、桃山駅(現在のJR桃山駅、月桂冠PR映画第一号『選ばれたもの』昭和6年=1931年制作より)▲明治期からの鉄道網の広がりにより、伏見の酒も全国に出荷されていくようになった。当時の国鉄・奈良線、桃山駅(現在のJR桃山駅、月桂冠PR映画第一号『選ばれたもの』昭和6年=1931年制作より)

風味をつくる絶妙なバランス

日本酒の風味を形づくっているのは、三大成分のアルコール、糖、及び酸、他にもアミノ酸やミネラルなど数百もの成分が含まれており、これらの成分が酒の甘辛や濃淡を左右している。とくに、酸やアミノ酸が多ければ「濃醇」、少なければ「淡麗」となり、また、同じ糖分量でも、酸が多ければ「辛口」、酸が少なければ「甘口」と感じる。
いずれにしても、日本酒にとって、こうした濃醇な味のふくらみや旨味も、淡麗ですっきりとしたのどごしも、数多くの成分がいかに調和しているかが何よりも大事である。
絶妙のバランスを持った酒ならば、肴なども選ばない。選ぶのは、共に酌むべき友と、場所ぐらいであろう。

【出典】
  • 栗山一秀 「(連載)日本酒のこころとかたち」 『酒販ニュース』 醸造産業新聞社 (1996年7月21日)

甘辛の時代変遷

酒の比重(日本酒度)と酸の量(酸度)を基準にして、酒質の変遷をみると、江戸末期以来明治末年まで極端な濃醇辛口だった酒は、大正、昭和と年を経るとともに辛さと濃さを減じました。戦時中、酒の絶対量が不足したときに、一時やや辛口に戻ったものの、戦後になると再び辛さを減じ、淡麗化の傾向が進みました。現在では、甘辛いずれにも片寄らず、また濃淡のどちらにも属さない、ほぼ中庸の酒質が大勢を占めるに至っています。
酒質がこのように変遷したのは、醸造技術の進歩が関係しています。昔は発酵中に混入する雑菌によって自然にできていた酸が減少し、純粋酵母で造られる酸だけになってきたこと、つぎに、戦後の食生活の洋風化や淡麗化などにマッチさせるよう、醸造法が動いてきたことなどが、その大きな要因です。

甘辛の時代変遷▲甘辛の時代変遷(佐藤、川島の図をもとに作成)

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