「高山右近ゆかりの“伏見教会”への小道」史跡

京都市により名所説明の駒札設置

2019年02月21日

月桂冠株式会社(社長・大倉治彦)の本社南側に位置する「キリシタン大名・高山右近ゆかりの“伏見教会”への小道」史跡(京都市伏見区本材木町)に、2月21日、京都市(京都市産業観光局観光MICE推進室)により、名所説明用の駒札が設置されました。駒札は、京都市内で育った「みやこ杣木」を活用して制作され、縦75センチメートル、横80センチメートルで、全高は185センチメートル。京都市の「市内産木材を活用した名所説明立札(駒札)設置事業」として実施されたもので、地域の人にしか知られていない魅力ある名所の情報などを発信し、各地への観光に誘うことが目的となっています(日本語・英語・中国語・韓国語で説明表示)。

豊臣秀吉時代から徳川家康時代にかけての伏見の城下町を描いた図(『豊公伏見城ノ図』、下写真)には、高山右近の武家屋敷の配置が描かれており、その屋敷に通じる小道の由緒を知らせるものとして、今回の駒札が設置されました。近年の学術文献(三俣俊二「伏見キリシタン史蹟研究」)では、高山右近と記された武家屋敷はイエズス会の「伏見教会」(1604-1614年)であると、イエズス会年報(1615年、1616年)の記述などをもとに推察されています。教会は為政者や住民を刺激しないよう、町屋で囲まれた場所に位置し、外観は町家風に偽装されたと伝えられており、それは伏見の城下町図とも符合しています。高山右近は当時、伏見の屋敷へも訪れていたことから、城下町図にその名が記されたものと考えられています。

かつて伏見教会があった場所は、現在の月桂冠本社のすぐ南側で、京都市立伏見南浜小学校と同幼稚園の敷地になっています。城下町図に描かれた教会へと続く小道は400年の時を超え、月桂冠株式会社の敷地として引き継いでおり、幅2.4メートルの区画が舗装されずに残っています。この小道は、東側にある皇室の御陵(後崇光太上天皇を祀った伏見松林院陵)に直結していたことが、古老の証言や、法務局で取り寄せた昭和初期の公図からわかりました。それらの点から、皇室の御陵への参道として小道が維持され、キリシタン信仰、神道と、信仰の対象が変わる形で残ったのではないかと当社では推定しています。

京都・伏見は、16世紀末~17世紀初頭に豊臣秀吉や徳川家康といった天下人たちが本拠を置いた、当時の「首都」でした。政治・経済の中心となる中で、キリシタン信仰も広まり、そして迫害、殉教が全国を先取りする形で見られました。伏見の町には、現在、城下町時代の町割りや水路などが多く残っていることから、高山右近の武家屋敷、伏見教会などの位置が推定でき、その場所に立って、往時のさまざまな事跡を彷彿とすることができます。

命脈が保たれた伏見教会への小道は、現在、月桂冠本社や大倉記念館、浄土宗・松林院の近傍でひっそりと、高山右近の足跡を伝えるものとなっています。月桂冠では、高山右近ゆかりの地であることが銘記された駒札を、地域の歴史散策や信仰を求めて探訪される方々の手がかりとしていただくことを期待しています。

伏見城下町における高山右近の屋敷、イエズス会「伏見教会」への小道

所在地:
京都市伏見区本材木町(月桂冠本社の南側、月桂冠大倉記念館・バス駐車場北東角)

アクセス:
【京阪本線】「中書島駅」から徒歩5分、「伏見桃山駅」から徒歩10分
【近鉄京都線】「桃山御陵前駅」から徒歩10分
【JR奈良線】「桃山駅」から徒歩18分

●参考文献・資料
・三俣俊二
「伏見キリシタン史蹟研究」聖母女学院短期大学伏見学研究会・編
『伏見の歴史と文化』(京・伏見学叢書1)清文堂出版(2003年)
・シスター小川英子
「京都聖母女学院と伏見」(講演) 伏見学連続講座(2016年12月3日)

●関連情報

知る・学ぶ:キリシタン大名・高山右近と京都伏見
> http://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/bunko/takayamaukon/index.html

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