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京都伏見に残るキリシタンの足跡

信仰の広まり、そして迫害・殉教

豊臣秀吉が、1592年(文禄元年)、城を築いて以降、政治の中心となった伏見では、キリシタン信仰の広がり、そして迫害、殉教が、全国を先取りする形で特徴的に見られたことも、京都聖母女学院短期大学名誉教授の三俣俊二氏は指摘している。宿場町の中心であり、三十石船の船着き場として賑わっていた京橋、京の都に向かう街道筋の京町では、捕えられたキリシタンが引き回され衆目に晒された(イエズス会年報の1615年、1616年に記載)。「伏見教会」(京都市伏見区丹後町)の1ブロック北側には、車1台が通行できるほどの東西に貫く細道(呂の図子=ろのずし)が通る。その北側には牢獄が所在し、多くのキリシタンが捕らえられたという。伏見奉行所前の道阿弥町通りを南へ下った、宇治川北岸の観月橋(かつての豊後橋)西側から澱川橋梁のあたりでは、徳川時代にキリシタンが刑に処され殉教した。

キリスト教の痕跡は徹底して消し去られたと言われているが、伏見では城下町時代の町割りや水路が今も多く残されていることから、文献と現存する地名を照合して位置が特定できる。

呂の図子(通り)
呂の図子(踏切の表示)
この通りの北側(右側)に牢獄が所在した。伏見城下町図には、牢獄であることは明示されていないが、うすい細線でその所在が示されている。交差する鉄道の踏切には、牢獄への道だったことを示す名が残り、「呂の図子」の字が当てられている。

澱川橋梁
徳川時代、宇治川北岸の観月橋西側から澱川橋梁あたりで、キリシタンが刑に処され殉教した。

「元和キリシタン殉教の地」石碑
京の洛中では、1619年(元和4年)、52名のキリシタンが火あぶりの刑で殉教。「元和キリシタン殉教の地」として、1994年7月に石碑が建立された(鴨川沿い、川端正面上がるの舗道、京都市東山区鍵屋町)。

城下町から、宿場町・港町へ

徳川幕府により、1614年(慶長19年)出された、キリスト教の大禁教令により、高山右近は日本からも追われ、迎えられたフィリピンのマニラで、1615年(慶長20年)、生涯を閉じた。

1624年(寛永元年)には、伏見城が廃城となったため大名屋敷などが焼き払われ、伏見の街は一時期、火が消えたように衰退した。一方、時を経るにつれ、大名の参勤交代をはじめ、人や物資の往来が活発になり、伏見は交通の要衝として復興、京の町への玄関口として、街道沿いの宿場町・港町として発展していった。月桂冠は、禁教令から23年後の1637年(寛永14年)、京都府南部の笠置から伏見に出てきて、南浜界隈の馬借前に店を構え、「笠置屋」として創業したのが始まりである。豊臣秀吉時代の城下町を描いた古絵図に「高山右近」と記された場所(イエズス会「伏見教会」)の近隣で、江戸期は地元の小さな地酒屋として、旅人や地域の人たちに商っていた。

 

「ふしみ」[写真左]、「かさぎや」[写真右]と書かれた陶製の徳利
「ふしみ」[写真左]、「かさぎや」[写真右]と書かれた陶製の徳利。かさぎや(笠置屋)は、1637年(寛永14年)創業当時の屋号。徳利は、「通い徳利」「貸し徳利」などと呼ばれ、量り売り(はかりうり)や酒質見本の運搬などに使われていた。

江戸期勘定帳に見る「南蛮酒」の記述

月桂冠に現存する最古の「享保3年(1718年)勘定帳」。この笠置屋の商った記録の中に、「南蛮酒」の記述がみられる(写真中の赤い矢印の項目)。「南蛮酒」は当時の京の名物ともなっていたという。

南蛮酒とはどのような酒か。酒造りで生じる酒粕を蒸留した酒精に、味醂や果実を加えるなど諸説がある。織田信長のもとで、1576年(天正4年)、京の町中に「南蛮寺」と呼ぶキリスト教会が置かれた。キリシタンと「南蛮酒」との関係は不明だが、その名称から、何らかの由縁があるものと考えることができる。

 

享保3年(1718年)勘定帳
月桂冠に現存する最古の「享保3年(1718年)勘定帳」。当時、新酒、古酒、合酒、煮込酒、南蛮酒(赤い矢印の項目)など、さまざまな種類の酒を造り商ったことが記されている。

受け継がれたキリシタン灯籠

伏見の南浜は、京の町中への玄関口として、多くの旅客が行き交った(現在の月桂冠本社から、旅籠「寺田屋」を経て、濠川にかかる京橋あたりまでの地域)。街道(現在の立石通り)と並行する東西の疏水では南側に向けて開けた船着き場の浜があり、往来する人々でにぎわった。この地で、数々の大名が宿泊する本陣宿を営んだ福井源三郎家に、キリシタン灯籠が受け継がれてきた。キリシタン灯籠は、千利休に茶の湯を学んだ古田織部の発案とされる型の灯籠であり、茶室のしつらえとして、各地の庭園にも見られるものだ。灯火が入る火袋の下にある竿部に十字架を連想させる膨らみがあり、竿の下端にキリスト像、またはマリア像を思わせる人形(ひとがた)が彫り込まれている。

この灯籠は、1995年(平成7年)、阪神大震災の被災により損壊を受けた笠の部分などを補修し、福井源三郎家から月桂冠が譲り受けた。弾圧の厳しかった時代、信徒はキリシタン灯籠の彫像をほとんど土中に隠れるようにして埋め、ひそかに礼拝していたことを思わせる。本陣宿を営んでいた屋敷にもこのような灯篭があった点で、信仰の広がりを彷彿とさせる。

寺田屋浜
京都伏見・南浜。京橋から寺田屋浜を臨む。

キリシタン灯籠
キリシタン灯籠(クローズアップ)
月桂冠大倉記念館の第二展示室南側の庭園に、安置しているキリシタン灯籠。笠幅は58センチメートル、高さ128センチメートル。竿の下端には、マリア像を思わせる人形(人形)が彫り込まれている。

(主要参考文献)

  • 三俣俊二「伏見キリシタン史蹟研究」聖母女学院短期大学伏見学研究会・編 『伏見の歴史と文化』(京・伏見学叢書1)清文堂出版(2003年)

(高山右近に関する参考図書)

  • 海老沢 有道『高山右近』(人物叢書)〔新装版〕吉川弘文館(2009年)
  • 嶋崎賢児『キリシタン大名高山右近の足跡を歩く―ゆかりの地写真集』三学出版(2014年)
  • 中西裕樹・編『高山右近 キリシタン大名への新視点』宮帯出版社(2014年)
  • フーベルト・チースリク『高山右近史話』聖母文庫(2012年)
  • 古巣馨・著、カトリック司教協議会列聖列福特別委員会・監修『ユスト高山右近―いま、降りていく人へ』ドンボスコ社(2014年)

当コーナーに使用した意匠は、カトリック高槻教会(大阪府高槻市野見町2-26)の許可を得て、月桂冠が撮影した画像を含んでいます。

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