幕末の歴史舞台・伏見を歩く

伏見の市街地の1キロメートル四方を巡り、幕末の歴史を訪ねる散策コース。この地区は、JR奈良線、京阪本線・宇治線、近鉄京都線などの最寄り駅から近く、京都市街、大阪・奈良方面からの交通の便も良い。史跡などの見どころに加え、商店街や飲食店も多彩で気軽に訪ねやすいコースです。部分的に行程を組み合わせたり、逆のコースをたどったり、さらに足を延ばして近隣のスポットを訪ねるなど、このモデルコースをご参考に散策をお楽しみください。

<散策時間>
早足で巡れば約1時間(見学時間を除く)、各所を見学しながら巡れば2~3時間
<みどころ>
「薩摩藩島津伏見屋敷跡」を巡るコース。同屋敷は近藤勇を襲撃したといわれる伊藤甲子太郎の一派がかくまわれた場所。坂本龍馬が寺田屋で襲撃された際にかくまわれた場所でもある。伏見奉行所跡、寺田屋の旧跡地、川べりからの 酒蔵風景、古の酒造用具類や鳥羽伏見の戦いの遺物を展示する月桂冠大倉記念館など、幕末の伏見を思い描きながら各所をご探訪ください。
スタート
丹波橋駅(京阪本線、近鉄京都線)【伏見区桃山筒井伊賀西町】

丹波橋駅の西側、京阪線の出口から西の「薩摩藩島津伏見屋敷跡」方面へとお進みください。伏見中学校あたりから南側へと続く南部町通りを進めば、幕末史ゆかりの大黒寺(伏見区鷹匠町)、松林院(寺田屋の女将・おとせの墓)、金札宮にも立ち寄ることができます。

A
「薩摩島津伏見屋敷跡」石碑(松山酒造)【伏見区東堺町】

「薩摩島津伏見屋敷跡」石碑(松山酒造)新選組の関係では、近藤勇を襲撃したといわれる伊藤甲子太郎の一派がかくまわれた場所。また、「坂本龍馬 寺田屋脱出後 避難の地」でもあり、「天璋院篤姫 洛中洛外滞在時の宿泊地」だった場所。現在、月桂冠の関連会社・松山酒造が操業しています。その後は、濠川と並行する街路を進み、聚楽橋、毛利橋を経て、紀州藩伏見屋敷跡に建つ月桂冠昭和蔵(伏見区片原町)あたりを過ぎれば、大手橋の西詰めへと出ることができます。

B
「坂本龍馬、避難の材木小屋跡」石碑【伏見区過書町】

「坂本龍馬、避難の材木小屋跡」石碑大手橋の西詰・北側に石碑が建っています。坂本龍馬が避難した材木納屋は、実際には大手橋の東詰より南側の「村上町」にあったと伝えられます。本散策コース上でもそのあたり(濠川東岸)を通過します。阿波橋を過ぎ、濠川と宇治川派流の合流点にかかる、であい橋からは東方面の京橋へと進みます。であい橋から南へ進めば、伏見港公園、三栖閘門と資料館(伏見区葭島金井戸町)に向かうことができます。

C
「伏見口の戦い激戦地」石碑【伏見区表町】

「伏見口の戦い激戦地」石碑京橋の北詰・東側に川岸から道路への階段があります。ここから竹田街道へ上がってすぐの歩道脇に石碑が建っています。京橋から北へ2ブロック進むと、信号のある交差点北東の「電気鉄道発祥の地」石碑や、油懸地蔵尊のある西岸寺(いずれも伏見区下油掛町)を訪ねることができます。

D
「伏見長州屋敷跡」石碑【伏見区表町】

「伏見長州屋敷跡」石碑Cの「伏見口の戦い激戦地」石碑から南へ、京橋を渡り、信号のある交差点まで下ると、道路をはさんで向かい(竹田街道の西側)の伏見土木事務所前に石碑が建っています。 竹田街道東側の伏見みなと公園入り口から、昔ながらの装いの今富橋(伏見区表町~西柳町)を経て、蓬莱橋へ向かいます。蓬莱橋の南東側の子楽園(児童公園、公衆トイレ)で小休止が可能です。南へ進むと中書島駅(京阪本線)に至ります。

E
旅籠・寺田屋と旧跡地【伏見区南浜町】

旅籠・寺田屋と旧跡地蓬莱橋を北側へ出て、東西を走る南浜通りを西へ進むとすぐに「寺田屋」に到着します。寺田屋の旧跡地は、現在、史跡公園の趣となっています。庭園西側の旅籠の建物は見学が可能です。

F
酒蔵風景・月桂冠内蔵酒造場【伏見区本材木町】

酒蔵風景・月桂冠内蔵酒造場蓬莱橋の南詰・東側の階段から川岸へ下り、 宇治川派流沿いの遊歩道を東へ、道なりに進むと、昔ながらの酒蔵風景(月桂冠内蔵酒造場)を望むことができます。酒蔵は南側(右側)から、前蔵・中蔵・奥蔵と切妻屋根が連なっています。川沿いの道路に上がり、弁天橋を渡って北(酒蔵方面)へ進めば、月桂冠大倉記念館に至ります。

G
月桂冠大倉記念館【伏見区本材木町】

月桂冠大倉記念館お酒の資料館として、昔ながらの酒造りに用いられた用具類や明治期のびん詰め酒、広告ポスターなどを展示。月桂冠の歴史、日本酒産業の歩みを垣間見ることができます(開館:9:30~16:30、電話:075-623-2056)。
月桂冠大倉記念館から、酒蔵に沿って北へ進めば、江戸期建造の大倉家本宅(非公開、伏見区本材木町)へと至ります。酒蔵兼居宅として用いられた建物で、表構えには特有の酒屋格子が見られます。この本宅前には、遠見遮断(四辻の四当り)が残っており、伏見奉行所防衛のため街路がL字型に配されています。

H
伏見夢百衆【伏見区南浜町】

伏見夢百衆大倉家本宅の北西に位置する、大正8(1919)年建造の月桂冠旧本社。現在、観光案内・喫茶・お土産販売店を、地域の街づくり会社・伏見夢工房が運営しています(月曜日休み、電話:075-623-1030)。

I
「伏見土佐藩邸跡」石碑(月桂冠情報センター前)【伏見区南浜町】

「伏見土佐藩邸跡」石碑(月桂冠情報センター前)伏見夢百衆から、北へ進むと月桂冠情報センターに至ります。この一帯には、かつて伏見土佐藩邸がありました。近隣には、酒蔵や町家を改装した飲食店が軒を連ねています。

J
「会津藩駐屯地跡(伏見御堂)」石碑【伏見区大坂町】

「会津藩駐屯地跡(伏見御堂)」石碑東本願寺別院がある場所は、鳥羽伏見の戦いの際に会津藩が陣を敷いていました。この石碑の前にも遠見遮断(四辻の四当り)が見られ、伏見奉行所防衛のため街路がL字型に配されています。

K
伏見奉行所跡の石碑【伏見区奉行前町】

伏見奉行所跡の石碑Jの「会津藩駐屯地跡(伏見御堂)」前の遠見遮断を東へ進み、京阪線の踏切、近鉄線の高架を越え、すぐ南に折れ、しばらく進んだ東側の団地入口に、伏見奉行所跡を示す石碑が建っています。かつてこの一帯は石垣で囲まれ、敷地の中に伏見奉行所の建物がありました。鳥羽伏見の戦いの際には、幕府軍の陣地となり、新選組もここに駐屯していました。

L
御香宮神社【伏見区御香宮門前町】

御香宮神社伏見奉行所跡から北側に戻り、さらに大手筋通りまで進んで東へ折れてください。朱色の大鳥居をくぐるとすぐに御香宮神社に到着します。鳥羽伏見の戦いの際には、新選組を含む幕府軍と敵対した薩摩藩が駐屯していました。

ゴール
桃山御陵前駅(近鉄奈良線)、伏見桃山駅(京阪本線)、桃山駅(JR奈良線)

ここから西へ進み、京阪線の踏切を越えれば大手筋商店街に至ります。一方、東へJR線の踏切を越えてさらに進めば、明治天皇陵、桓武天皇陵、乃木神社などを訪ねることができます。

※散策に際してのご注意

  • 川沿いの遊歩道、交通量の多い道路もあります。通行にはご注意ください。
  • 予約の必要な施設、非公開施設も含まれています。各施設の状況に応じてご訪問ください。
  • 多くの史跡は民家周辺にあるため、地域住民の生活の支障とならないようご配慮をお願いします。