現在に引き継がれた「信仰の小道」
「伏見教会」への小道が現存
伏見の城下町図『豊公伏見城ノ図』には、高山右近ゆかりの伏見教会だった建物へ、西側から入り込む通路が描かれている。京都聖母女学院短期大学の名誉教授・三俣俊二氏の著書に基づき、月桂冠が確認したところ、城下町図に描かれた通路に呼応する形で、月桂冠の敷地(月桂冠大倉記念館駐車場の北東端)に、2.4メートルの幅を保って現在の区画に引き継がれ、京都市立伏見南浜幼稚園の敷地へ貫入するようにして存在する。月桂冠は、伏見教会が1614年(慶長19年)に破却された23年後の1637年(寛永14年)に創業した。
入口への通路が、なぜ今日まで残されてきたのか。幼少期をこの界隈で過ごした月桂冠取締役相談役の大倉敬一氏(1927年=昭和2年生まれ)に聞くと、「御陵さんへの参道だった」との証言が得られた。「御陵さん」とは、「伏見松林院陵」(京都市伏見区丹後町)のことであり、『豊公伏見城ノ図』に「高山右近」と記された敷地の北東角に重なる形で現存する。往時には、「伏見松林院陵」の敷地内に、御陵印を押していただける小さな小屋が設けられていたという。この証言をもとに、法務局で昭和初期の公図を取り寄せ確認したところ、月桂冠の敷地にあたる伏見教会への小道から、東側の「伏見松林院陵」南西端に通路が直結していた。この「御陵への参道」という機能により、イエズス会「伏見教会」への通路がそのままの形で維持されたものと推定している。
高山右近の大名屋敷とされたイエズス会「伏見教会」への小道[現況]。往時、高山右近が足繁く通い、伏見のキリシタンも心の拠りどころとしてミサに通った。
高山右近ゆかりのイエズス会「伏見教会」の建物へ、西側から入り込む通路が描かれている。
伏見松林院陵
伏見松林院陵には、室町期の後崇光太上(ごすこうだいじょう)天皇が祀られている。伏見宮家の貞成(さだふさ)親王が、1447年(文安4年)、太上天皇の尊号を受けられ、後崇光太上天皇となられた。後崇光太上天皇が、1416年(応永23年)から1448年(文安5年)まで、約30年間にわたり綴られた日記『看聞御記』が知られており、伏見桃山界隈の当時の様子も記されているという(参考文献:加藤次郎『伏見桃山の文化史』1953年)。
後崇光太上天皇については、次のように伝えられている。
<指月の森の伏見殿を上御所(かみのごしょ)とし、巨椋池の船着場・南浜の近くに、あらたに下御所(しものごしょ、〔舟戸御所=ふなとごしょ〕)を造営、上(かみ)と下(しも)の御所を幾度となく往来して、伏見の風光を心から楽しみ愛されたといわれている。
そのためであろう、後に後崇光太上天皇となられた貞成親王のご陵墓は、いま南浜小学校の校門のそばにあって、松林院陵と呼ばれている。その西に、親王に仕えた女官が尼僧となって御陵を守った庵ができ、それが現在の松林院という寺になったといわれている。両御所とも、その後の戦乱によって、ことごとく焼失したが、指月の森や巨椋池がかもし出す明媚な風光は幾代にもわたって人々に語り継がれていった>(出典:栗山一秀 『洛味』 第518集、1995年11月10日発行)。
室町期の後崇光太上(ごすこうだいじょう)天皇の御陵墓「伏見松林院陵」。『看聞御記』は、後崇光太上天皇が綴られた日記として知られている。宮内庁書陵部桃山陵墓監区事務所の許可を得て撮影。
時代を超えて信心が寄り添う
後崇光太上天皇が祀られた御陵への参道は、1909年(明治42年)に一旦、皇室財産の林野地を管理する帝室林野局により登記された。翌1910年(明治43年)伏見町に所有移転され、ここに小学校と幼稚園が移転してきた。証言から、少なくとも昭和初期には、月桂冠側(現在の月桂冠大倉記念館駐車場)の通路から、御陵に伸びる形で参道が存在したことがわかった。後年、御陵の西側を南北に走る小学校、幼稚園への通用路が主だって使用されるようになり、かつての御陵への参道の辺りには保育園の園舎が建った。敷地の所有も確定されていき、伏見教会の建物への入り口あたりで、幼稚園と月桂冠との境界を区分する壁により仕切られた。月桂冠大倉記念館前の駐車場には、かつて土蔵や町屋風の木造民家が数軒、二列になって建ち並んでいた。後年、鉄筋の社員寮が建設され、その外周は塀で取り囲まれたため、小道の存在もわからなくなっていた。近年、記念館の駐車場として整備したことで、細く入り込んだ小道の存在があらわになった。
時代と共に、イエズス会「伏見教会」(キリスト教)への通路として、皇室御陵(神道)への参道として役割が変遷、通路の北側には、後崇光太上天皇に仕えた女官が尼僧となって住まった庵を起源として再興された寺院「松林院」(仏教・浄土宗)も所在している。それぞれの宗教への信心が、時代を超えて寄り添った「信仰の小道」と言えるだろう。
(主要参考文献)
- 三俣俊二「伏見キリシタン史蹟研究」聖母女学院短期大学伏見学研究会・編 『伏見の歴史と文化』(京・伏見学叢書1)清文堂出版(2003年)
(高山右近に関する参考図書)
- 海老沢 有道『高山右近』(人物叢書)〔新装版〕吉川弘文館(2009年)
- 嶋崎賢児『キリシタン大名高山右近の足跡を歩く―ゆかりの地写真集』三学出版(2014年)
- 中西裕樹・編『高山右近 キリシタン大名への新視点』宮帯出版社(2014年)
- フーベルト・チースリク『高山右近史話』聖母文庫(2012年)
- 古巣馨・著、カトリック司教協議会列聖列福特別委員会・監修『ユスト高山右近―いま、降りていく人へ』ドンボスコ社(2014年)
当コーナーに使用した意匠は、カトリック高槻教会(大阪府高槻市野見町2-26)の許可を得て、月桂冠が撮影した画像を含んでいます。