月桂冠総合研究所

ヒーロー酵母と治右衛門酵母 ヒーロー酵母と治右衛門酵母

創立111周年となる2020年に、
月桂冠総合研究所は2種類のオリジナル酵母の
育種に成功しました。

一つは香りの高い日本酒を醸せる「ヒーロー酵母」。もう一つは、伝統の酒蔵から分離し育種した、ジューシーな日本酒を醸せる「治右衛門(じえもん)酵母」。育種法が独創的で、醸した日本酒がこれまでにない味わいとなるこれらの酵母についてご紹介します。

日本酒造りにおける酵母の役割と種類

酵母は、日本酒造りにおいて、アルコールだけでなく、香気成分、有機酸、アミノ酸など、日本酒の香味に関わる様々な成分を作ります。そのため、醸造に用いる酵母を変えることにより、様々な香味の日本酒を醸すことができます。日本醸造協会から頒布されている「きょうかい酵母」を使用する蔵元も多くありますが、各都道府県の試験場で育種された酵母、あるいは自然界から分離した酵母(花酵母や蔵付き酵母)などを用いて、個性的な風味をもつ日本酒を醸す蔵元も増えてきています。従来にないような風味の日本酒を醸すためにも、新たな酵母の育種方法が求められています。

ヒーロー酵母

ヒーロー酵母とは、月桂冠オリジナル技術であるHELOH(ヒーロー)法(High-efficiency loss of heterozygosity)およびそれに近い方法で育種された「特別な」酵母のことをいいます。ヒーロー酵母は、好ましい形質の遺伝子を2本持つという特徴があり、一般的な育種方法では非常に取得しにくい「選ばれた」酵母なのです。

ヒーロー酵母のロゴ

ヒーロー酵母を広く知ってもらうために、ロゴを作成しました。HELOH法で育種された「特別に選ばれた」酵母であることから、ヒーローをイメージするようなシンプルで「力強い」ロゴを作成しました。

ヒーロー酵母

ヒーロー酵母で醸した日本酒の特徴

これまで様々なヒーロー酵母の育種に成功しましたが、本稿では華やかな香りである吟醸香(ぎんじょうか)を超高生産するヒーロー酵母をご紹介します。このヒーロー酵母で醸した日本酒(大吟醸酒)は、洋ナシやリンゴを思わせる「カプロン酸エチル」という吟醸香(ぎんじょうか)をたっぷり含みます。

ヒーロー酵母の研究

ヒーロー酵母を育種するHELOH法について紹介します。日本酒醸造で主に用いられる酵母は、様々な機能を発揮する遺伝子を2本ずつ対で持っていますが、一般的な育種方法では、ほぼ1本しか優良な形質を持たせることができません。それに対しHELOH法では、非常に効率よく2本ともに優良な形質を持たせることが可能です。ターゲットとなる遺伝子のLOH(loss of heterozygosity:ヘテロ接合性の消失)を高効率(High-efficiency)にさせることから、HELOH法(High-efficiency loss of heterozygosity)と名付けました。
今回育種した、吟醸香の一つであるカプロン酸エチルという成分を超高生産するヒーロー酵母を例にとって紹介します。一般的な育種方法では優良なカプロン酸エチルを高生産に関与するFAS2遺伝子を1本しか持たせられませんが、HELOH法ではこの酵母に2本の優良なFAS2遺伝子を持たせることが容易にできます。一般的な育種方法でこのような酵母を取得できる確率は10万分の1程度に過ぎません。HELOH法を用いることにより確立を10分の1程度にまで高めることができます。HELOH法で育種した酵母は、まさに「特別に選ばれた」ヒーローのような酵母となるわけです。
このHELOH法は、優れた育種方法として特許1)を取得しています。また、日本生物工学会から清酒などの醸造に関する学理および技術の進歩に寄与した研究者に贈られる生物工学奨励賞(江田賞)も受賞2)しています。
この育種方法は10年前に確立していたのですが、近年では日本酒に個性的な味わいが求められることから、HELOH法を活用して新たな酵母の育種に着手し、目的とする酵母を獲得することができました。国内最大の日本酒の品評会「全国新酒鑑評会」ではカプロン酸エチル濃度が高いお酒が多数出品されますが、この酵母を用いたところ、その濃度の約2倍カプロン酸エチルを含む日本酒を醸すことができました3)。
また、HELOH法は一般的な育種方法と比較して、人の労力や試薬、試験醸造にかかる資源も格段に減らす技術としても有用です。
今後も様々なヒーロー酵母を育種して、特徴的な日本酒をお客様に提供していきます。

  • 1:日本国特許第5710132号、発明の名称「カプロン酸エチル生成促進酵母株、その製造方法、および、それを用いた発酵産物の製造方法」
  • 2:「二倍体清酒酵母の新しい育種法の育種とその応用」、小髙敦史、生物工学会誌、90(2)、p66–71 (2012)
    https://www.sbj.or.jp/wp-content/uploads/file/sbj/9002/9002_eda.pdf
  • 3:「月桂冠総合研究所 吟醸香を超高生産する酵母により華やかな香りが2倍の日本酒を量産可能に」(2020年03月26日:ニュースリリース)
    https://www.gekkeikan.co.jp/company/news/detail/133/

ヒーロー酵母で醸した日本酒と食相性

今回育種したヒーロー酵母で醸した大吟醸には、素材の味わいを生かした料理が合います。白身魚のカルパッチョ、アジの塩焼き(レモン汁)、冷奴など。お酒の温度が低いと清涼感が際立つので、ピクルスなど酸味のあるおつまみも合います。自分の好みにあったペアリングを探してみるのも、ひとつの楽しみのといえます。

治右衛門酵母

治右衛門(じえもん)酵母とは、京都伏見の月桂冠大倉記念館に隣接する「内蔵酒造場」(1906年に創建)のもろみから見出された蔵付き酵母を、最新の育種方法で改良した酵母のことです。当社創業者の名であり、江戸期の間、代々が襲名してきた「大倉治右衛門」の名にちなんで、「治右衛門酵母」と命名しました。

治右衛門酵母で醸した日本酒の特徴は?

日本酒トレンドの先端を行く、果実感あふれる芳醇でジューシーな味わいが特長です。パイナップルやアプリコットを思わせる、甘酸っぱい香りが感じられ、とろりとした濃厚な甘みと爽やかな酸味が口中をやわらかく包み込むように広がっていきます。これまでにない新感覚のテイストの日本酒を、この酵母の活用により実現しました。

治右衛門酵母のロゴ

この酵母を広く知ってもらうため、親しみやすいロゴを作成しました。酒蔵には古くて重厚というイメージと共に情緒的な側面もあることから、柔らかいイメージの酒蔵をモチーフにしました。

治右衛門酵母

治右衛門酵母の研究

内蔵酒造場のもろみから見出した蔵付き酵母で醸した日本酒は、香味が良いものの燻製のようなスモーキーな香りが強すぎて、当初、製品での活用はできませんでした。このスモーキーな香りの要因を、HELOH(ヒーロー)法(High-efficiency loss of heterozygosity)を用いて除去することに成功しました。
蔵付き酵母など自然界から見出した酵母は、醸すお酒の香味が良くても、一部の欠点(発酵しない、味が良いがオフフレーバーある)があるために実用化に至らないことがあります。今回見出した蔵付き酵母も同様で、醸した日本酒には、芳醇で良好な香味がする一方、スモーキーな香りが強すぎるという欠点がありました。この要因となる4-ビニルグアヤコール(4-VG)という成分は、日本酒の官能評価ではオフフレーバー(劣化臭)とされるもので、発生原因は酵母が持つ、FDC1遺伝子であることが知られています。FDC1遺伝子を機能させないようにするためにこの蔵付き酵母の遺伝子情報を調べていたところ、機能しているFDC1遺伝子と機能していないFDC1遺伝子を対で持っていることが分かりました。FDC1遺伝子にHELOH法を直接適用できなかったことから、FDC1遺伝子を含む広範囲な領域にHELOH法を適用するという手法へ発想を転換しました。その結果、機能していないFDC1遺伝子のみを2本持つ酵母の育種に成功、その酵母が醸す日本酒はスモーキーな香りがほとんどなく、従来の日本酒とは異なる新感覚の香味を有していることが分かりました1)。
今回の育種方法は「お蔵入り」になっていた酵母を再度「蔵出し」する技術の一助にできると期待できるもので、その土地に棲みついている酵母を実用化することで日本酒にテロワールの要素を加味できる技術とも言えます。

  • 1)「月桂冠総合研究所 酵母に燻製様の劣化臭を生産させない技術を開発 新商品「THE SHOT 鮮やかジューシー純米」に応用」(2020年10月22日:ニュースリリース)
    https://www.gekkeikan.co.jp/company/news/detail/185/

治右衛門酵母で醸した日本酒と食相性

治右衛門酵母で醸した日本酒は、カマンベールチーズやブルーチーズ、ドライフルーツ、ナッツなどのおつまみだけでなく、チョコレートなどのスイーツとも合います。しっかりした酸が料理の味をさっぱりさせてくれるので、和食はもちろん、洋食との相性も良いです。卵料理などもおすすめで、カルボナーラのようなコクのある卵系の料理とも好相性です。