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月桂冠トップ > 知る・楽しむ > 酒の文化を知る-酒の歳時記 > 酒蔵の四季 神仏への祈りと感謝を欠かさず
酒林(さかばやし)▲新酒の仕込みの季節を迎え、月桂冠内蔵酒造場(京都市伏見区本材木町)にかかげられた酒林(さかばやし)。酒林は神木である杉の葉を束ねて球状に整えたもの。昔は酒屋の看板として、新酒ができたことを知らせるため、新しい酒林を軒先に吊るした。大きな引き戸の上に張った注連縄(しめなわ)は、神聖な酒蔵への入り口を区切る結界としての意味を持っている

酒蔵の四季
神仏への祈りと感謝を欠かさず

酒の文化を知る - 酒の歳時記

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<春>甑倒し

寒造りが終わりに近づく3月中頃、シーズン最後の酒モロミの仕込みに使う米を蒸し終えることを甑倒し(こしきだおし)と言います。米を蒸していた甑を大釜からはずし、横に倒して洗うことから、このように呼ばれています。
甑倒しの当日は、神に新酒を捧げて蒸米の無事終了を感謝し、宿舎ではお祝いの小宴が催されます。杜氏や蔵元幹部から、酒造りのひと区切りを終えたことへの、ねぎらいの言葉がかけられ、蔵人たちの顔もほころびます。
四季醸造蔵では7月初旬、整備のため仕込みの中断にあたり甑倒しを行います。連続蒸米機を使っているため寒造り蔵のように甑を倒すことはありませんが、毎年、同様の行事を行っています。

<秋>醸造祈願祭

大神神社(おおみわじんじゃ、奈良県)、松尾大社(京都市西京区)、梅宮神社(京都市右京区)は、酒の神様として知られています。毎年11月初旬、新酒の仕込みの季節を迎え、醸造安全祈願のため、蔵元の経営陣や酒造蔵の責任者らが打ち揃って詣で、玉串を捧げます。科学技術を取り入れて高品質の酒が造られる現代においても、安全や繁栄の拠りどころとして、神仏への祈りと感謝は欠かせないものとなっています。

醸造祈願祭

<秋>お火焚き祭

稲荷神は酒造家にとっても信仰の対象となっており、毎年11月の醸造祈願祭には総本宮の伏見稲荷大社(京都市伏見区)で玉串を捧げています。各酒蔵に祀った稲荷社でも、お火焚き祭(おひたきさい、11月)、二の午祭(にのうまさい、2月)など折々の祭礼を欠かさず営むことが伝統となっています。11月は年間で最も太陽の光が弱まり、その復活を願って「お火焚き祭」の祈りを捧げ、稲藁を焚いて吉凶を占います。

お火焚き祭

<秋>防火の神様・愛宕まいり

月桂冠では、防火の神様・迦倶槌命(かぐつちのみこと)を若宮社にまつる愛宕(あたご)神社(京都市右京区嵯峨野)に参る習慣があります。
愛宕参りは、「お伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕山へは月参り」と古歌に謡われたように、厚い信仰を集めています。鎮火祭が起源の「愛宕山千日詣」は、7月31日から8月1日にかけて行われます。この1日で千日分の御利益が得られると言われ、毎年数万人が参られます。伏見の酒造業者による愛宕参りの歴史は古く、江戸期からと言われます。月桂冠では少なくとも、1925(大正14年)には会社の行事として参っていたとの記録があり、現在も、防火の願いをこめた伝統行事として継続しています。
愛宕神社の本殿は標高924メートルの愛宕山頂にあり、その行程は半日ほどの登山コースとなっています。愛宕神社では御祈祷を受け、「火迺要慎」(ひのようじん)の御札を授かることができます。御札は台所の東または南向き(西側または北側)に貼られます。

愛宕神社への参道▲愛宕神社への参道。【登山ガイド】愛宕山へはハイキングコースとしてもおすすめします。登山口の清滝から頂上までは4.4キロ、約2時間の道のり。下りは約1時間。山頂まで売店がなく、水や食料、運動靴や雨具など登山の装備が必要。

<冬>二の午祭

稲荷神にまつわる神祭りとして、2月には、社内に祀ったお稲荷さんで二の午祭(にのうまさい)を催します。稲荷大神が稲荷山に鎮座されたのは和銅4年(711年)2月であり、2月最初の午(うま)の日を「初午」(はつうま)、2回目の午の日を「二の午」として神祭りが営まれています。

<冬>会所場

酒蔵の一角に設けられている休憩所のことを会所場(かいしょば)と呼びます。畳敷きの部屋で、真ん中に囲炉裏(いろり)を切り抜いた造りが多いようです。
杜氏に聞いたところ、越前(福井)・丹波(兵庫)・但馬(同じ)では「会所場」、広島では「会所部屋」、山内(秋田)では「休み場」、南部(岩手)では「広敷」(ひろしき)と呼ばれています。食事をする場所に隣接しているところが多く、酒造りの合間、杜氏や蔵人(くらびと)が一堂に会して一服し、歓談する場となっています。

酒蔵に隣接して配された会所場の建物(中央)▲酒蔵に隣接して配された会所場の建物(中央)、杜氏、蔵人の生活の場でもある

今でこそ一同車座になって和気あいあいのひと時を過ごしますが、徒弟制度の厳しかった昔は杜氏さんの座る場所は上座で、座ぶとん付きのところが多かったようです。また、話題も杜氏の在室時は堅い話が多く、不在の時は柔らかい話も飛び出すなどリラックスの度合いが異なったようです。

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