月桂冠総合研究所
研究内容
お酒の研究

代謝産物でわかる清酒酵母が酔わないワケ

清酒酵母は、全国の酒蔵から分離された酵母の中で、特に醸造特性に優れた菌株として選抜された実用酵母です。アルコールの生成だけでなく、清酒独特の風味を醸し出すために欠くことができない微生物です。清酒の醸造では、低温、低pH、高濃度の糖分、また発酵後期にはエタノール濃度が高くなるなど、酵母にとっては決して優しい環境ではなく、きわめて厳しいストレス条件下にあるといえます。しかし、このような高いストレス条件下でも、清酒酵母だけは旺盛に発酵します。これは他の酵母には真似のできない、清酒酵母の特徴の1つです。

図1 各種酵母を用いた仕込み試験
図1 各種酵母を用いた仕込み試験

清酒酵母と一般的な実験用の酵母(以下、実験室酵母)を用いて、同じ条件下で酒を造ると、図1のように清酒酵母では盛んに炭酸ガスを生成し、もろみ上部に泡を形成するのに対して(参考1)、実験室酵母では活発な発酵はみられません。アルコール濃度も、清酒酵母は20%近くまで生成するのに対して、実験室酵母では15~16%程度で発酵が止まってしまいます。

なぜ、清酒酵母だけが、酒の仕込みで高いアルコールを生産できるのでしょうか。

月桂冠総合研究所では、これまでにDNAマイクロアレイ解析を用いた遺伝子発現解析などゲノム情報を用いて清酒酵母の特長を検討してきました。すでに酵母では全てのゲノム配列が明らかになっていますので、清酒酵母と実験室酵母の違いを遺伝子配列で比較することができます。しかし清酒酵母と実験室酵母は、ゲノム配列が非常によく似ており(参考2)、その解析だけでは、清酒酵母独特の性質を全て明らかにすることはできませんでした。

遺伝的に非常に似ている微生物でも、酒を造った場合、アルコールの生産量が異なるように、出来てくる成分がそれぞれ違うことから、酵母細胞内の糖やアミノ酸などの代謝物も異なることが考えられます。
そこで、生物が生成するさまざまな代謝物を網羅的に解析できる「メタボローム解析」(metabolome=全代謝物質)の技術を用いて、細胞全体の代謝を把握すれば、これまで解明できなかった清酒酵母の特長を解明し、品質の向上にも資することができるのではないかと考えました(図2)。

図2 ポストゲノム解析
図2 ポストゲノム解析

清酒酵母と実験室酵母の比較

実験室酵母(X2180(a/α);X2180-1A×X2180-1B)と清酒酵母(きょうかい7号酵母;K7)を、YPD培地(酵母エキス、タンパク質分解物、グルコースを配合した微生物生育の栄養源となるもの)を用いて15℃の低温で静置培養しました。低温の条件では両酵母の増殖は大きく異なっていました(図3)。

図3 酵母の増殖
図3 酵母の増殖

酵母細胞内の代謝物レベルを網羅的に測定することを目的として、培養後期に測定用の試料をサンプリングしました。測定するターゲットは、細胞内のエネルギー代謝などで生合成される親水性低分子代謝物にしぼり、それらをGC/TOF-MS(Gas Chromatograph Time-of-Flight Mass Spectrometer=ガスクロマトグラフ飛行時間型質量分析計)で分析しました。
GC/MS分析で検出されたピークの解析により、アミノ酸、有機酸、糖、糖アルコール、窒素化合物などを同定しました。さらに、検出した全てのGC/MSデータを統計解析しました。その結果、酵母がアルコールを生成する間で、量的に違いが大きく現れた成分を中心に、清酒酵母と実験室酵母の代謝物の流れを図4へ示しました。
実験室酵母では、トレハロースが蓄積していることがわかります。トレハロースは、植物や酵母がストレスを受けたときに増加するといわれています。
一方、清酒酵母では、トレハロースの蓄積は少なく、その先のアミノ酸生成の経路へと流れていました。この結果から、清酒酵母は15℃の低温条件によりストレスを受けているものの、増殖を示すなど活発に活動し、アミノ酸の代謝を行っていることが読み取れます。これは、清酒酵母が酒造りの低温、高アルコールの厳しい環境に適応し、活発な代謝が可能であることを裏付ける結果といえます。

図4 清酒酵母と実験室酵母の細胞内代謝の違い
図4 清酒酵母と実験室酵母の細胞内代謝の違い

清酒酵母間の菌株による代謝の違い

「きょうかい酵母」は全国の酒蔵から見出されたもので、特に醸造特性にすぐれた菌株です。各酵母の違いについて、日本醸造協会では表1のように表現していますが(参考3)、ゲノムレベルではほとんど同じ近種と位置づけられています(参考4)。

表1 きょうかい酵母の特徴(参考3)

7号 華やかな香りで広く吟醸用および普通醸造用に適す
9号 短期もろみで華やかな香りと吟醸香が高い
10号 低温長期もろみで酸が少なく吟醸香が高い

各きょうかい酵母の特性を知るため、「メタボローム解析」により細胞内代謝レベルで比較しました。前述の方法と同様にサンプルを調製後、GC/MSによる分析を行いました。その結果トレハロースと、クエン酸やリンゴ酸等の有機酸の細胞内での代謝物レベルが、各きょうかい酵母によって異なることが明らかになり、酵母間の特性の違いを代謝物レベルで明確にできました(図5)。
有機酸は味に大きく寄与する代謝物で、さわやかさ、すっきり感、うま味にも関与するなど、清酒成分の中でも重要な役割を果たしています。そのため、杜氏の「経験や勘」によって清酒酵母を使い分けることで、味にバリエーションを生み出してきました。今回の解析により、これまで定量的に評価できなかった、各きょうかい酵母の細胞内代謝物の差を、それぞれの形質の表現型の差異として表すことができました。解析に用いた3種類の酵母が酒造りに適した形質を持つことはすでに明らかとなっていますが、酵母を育種する上で、酵母細胞内の有機酸生産量を知り、代謝の基本特性を把握することは、育種の際に菌株を選抜する手段とできるなど、今後、非常に重要になると考えています。

図5 清酒酵母の細胞内有機酸量の比較
図5 清酒酵母の細胞内有機酸量の比較

まとめ

清酒醸造に用いられる酵母の特長を探るためにメタボローム解析を行いました。酒造りが行われるのと同様の低温条件下で、清酒酵母と実験室酵母とを比較し代謝物レベルの特徴を明らかにすることができました。この代謝活性の違いに、清酒酵母が発酵途中で各種ストレス条件にさらされたときに、酒を造るために必要な能力を発揮できる要因が表れているのではないかと考えています。
清酒酵母は長い年月をかけて「蔵つき酵母」として自然育種された結果、酒を造るために必要な能力を獲得してきました。この能力つまり清酒酵母らしさをひも解く上で、メタボローム解析のような網羅的解析は非常に有効であると考えています。
近年の分析技術の発展により、代謝物など清酒中の微量成分が明らかになっただけでなく、その成分を生成する微生物の代謝経路まで分析・評価できる時代となってきました。月桂冠総合研究所では、今回用いたような新たな解析技術を応用し、有用酵母の育種方法や、新しい発酵技術の開発を進めていきたいと考えています。

本研究は、大阪大学大学院工学研究科・福崎英一郎教授と当社が共同で実施しました。

参考文献

  1. Shimoi,H. et al.:Appl. Environ. Microbiol. 68(4)、2018-2025(2002)
  2. 下飯仁;生物工学、84、358-360 (2006)
  3. http://www.jozo.or.jp/i.kouboda.htm
  4. Azumi.M, et al., Yeast 18 1145-1154 (2001)

学会誌

生物工学 特集「清酒酵母のメタボロミクス」 85、476-478(2007)

出版

「メタボロミクスの先端技術と応用」(株)シーエムシー出版 清酒酵母のメタボローム解析p279-287

学会発表

  • 酵母遺伝学フォーラム第38回大会(2005)
    「清酒酵母Saccharomyces cerevisiae のメタボロミクス」
    ○堤浩子1)、小川景子2)、秦洋二1)、福崎英一郎2)、小林昭雄2)
    (1月桂冠・総研、2阪大・院工)
  • 日本分子生物学会2005年度大会
    「清酒酵母Saccharomyces serevisiae のメタボローム解析」
    ○堤浩子1)、小川景子2)、千代真由美2)、秦洋二1)、安部康久1)、福崎英一郎2)、小林昭雄2)
    (1月桂冠・総研、2阪大・院工)
  • 第63回 酵母研究会(2006)
    「清酒酵母のメタボローム解析」
    堤浩子
  • 第58回 日本生物工学会大会 (2006)
    「清酒酵母のメタボローム解析」
    堤浩子
  • 化学工学会第38回秋季大会(2006)
    「清酒酵母のメタボローム解析から酒造りをみる」
    堤浩子
  • 京都酒造工業研究会技術講演会(2006)
    「メタボロミクスで清酒酵母を知る」
    堤浩子
  • 日本農芸化学会2006年度大会(2006) 「清酒酵母 Saccharomyces cerevisiae のメタボローム解析」
    福崎英一郎、 ○千代真由美、 堤浩子1)、 秦洋二1)、 小林昭雄
    (阪大院・工・生命先端、 1月桂冠・総研)
  • 酵母遺伝学フォーラム第40回大会(2007) 「清酒酵母Saccharomyces cerevisiae のメタボローム解析」
    ○堤浩子1)、千代真由美2)、秦洋二1)、福崎英一郎2)
    (1月桂冠・総研、2阪大・院工)
  • 第173回 酵母細胞研究会(2007)
    「醸造微生物のメタボロミクス」
    堤浩子
  • 酵母遺伝学フォーラム第41回大会(2008)
    「清酒酵母Saccharomyces cerevisiae のメタボロミクス」
    ○堤浩子1)、水本真紀子1)、犬童雅栄1)、橋本卓哉2)、福崎英一郎2)、秦洋二1)
    (1月桂冠・総研、2阪大・院工)
  • 日本農芸化学会2008年度大会(2008)
    「清酒酵母Saccharomyes cerevisiae のメタボロミクス」
    ○堤浩子1)、水本真紀子1)、橋本卓哉2)、千代真由美2)、福崎英一郎2)、秦洋二1)、安部康久1)
    (1月桂冠・総研、2阪大・院工)
  • 第18回酵母合同シンポジウム(2008)
    「メタボロミクスから清酒酵母を知る」
    堤浩子
  • 清酒酵母・麹菌研究会(2008)
    「清酒酵母・麹菌のメタボローム解析」
    堤浩子

(掲載日:2008年10月21日)