月桂冠総合研究所
研究内容
お酒の研究美と健康の研究

日本酒の香りがもたらすリラックス効果。吟醸香で癒しのひとときを。

日本酒の香りは様々な成分で構成されていますが、中でも酵母によって作られる果物や花のような華やかな香りは、「吟醸香(ぎんじょうか)」として人々を魅了しています。吟醸香の主要な成分である「カプロン酸エチル」や「酢酸イソアミル」を嗅ぐと、ヒトの心と体にリラックス効果(鎮静効果)をもたらすことを、筑波大学大学院 矢田幸博教授の技術指導のもと、ヒトに対する有効性評価試験で明らかにしました。この発見は、世界初の成果となります。

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※イメージ画像。実際の試験風景とは異なります

日本酒の香りの機能性への興味

近年、「香り」の持つ、心理的・生理的機能への注目が高まっており、フレグランス製品だけでなく、食品や飲料に含まれる香気成分の中にも鎮静効果や覚醒効果が報告されているものがあります。日本酒の吟醸香の主要成分はリンゴのような華やかな香りの「カプロン酸エチル」と、バナナのような芳醇な香りの「酢酸イソアミル」の2種類のエステル類です。近年、香りが高いタイプの日本酒に人気があり、嗜好品として飲用するニーズが高まってきています。私たちは、人々に好まれる理由として、これらの「よい香り」に注目し、どのように影響しているのか興味が湧きました。しかし、これまで、日本酒の香りを嗅ぐことによる効果は詳細に検討されていません。また、香りの機能性研究は、香りに対する個人の嗜好性や感度の違いが大きく、検証が難しい一面があります。そこで、本研究では、嗜好性および心理的な評価、さらに統合生理学的手法を用いた有効性評価試験を行うことで、カプロン酸エチルと酢酸イソアミルがヒトの心と体へ及ぼす作用を検証し、日本酒の香りの新たな魅力を明らかにしたいと考えました。

試験の概要

被験者は健常女性18名(30~40代)としました。測定では、空気、コントロール(15%エタノール)、およびカプロン酸エチルまたは酢酸イソアミルの香り(各8 ppmを15%エタノールに添加)を自然呼吸下で嗅ぎました。心理的評価として、多面的感情尺度および気分状態の変化を調べ、生理的評価として、自律神経活動を評価するために瞳孔対光反応および皮膚温を測定しました。また、香りに対する嗜好性も調査しました。本試験は、臨床試験機関であるチヨダパラメディカルクリニック倫理審査委員会で審査、承認を得た後に被験者への同意書による同意の下、実施しました。また、利益相反関係を報告するものはありません。

吟醸香が好き。その印象は、癒されて、優雅で、リラックスする香り。

香りに対する嗜好性や感じ方、印象について、Visual Analogue Scale(VAS)で調査したところ、カプロン酸エチルおよび酢酸イソアミルはどちらも同じ傾向が認められ、香りの好ましさ、癒される香り、優雅な香り、リラックスする香りの印象への評価点はほぼ同じ値でした。
カプロン酸エチルの方が、酢酸イソアミルよりも全体的に強い反応が示され、酢酸イソアミルに対して、華やかな香り、フルーティな香り、甘い香りの3項目において、評価点が有意に高いことが分かりました(p<0.05)。
これらの香りを嗅ぐことで、ヒトの心身にどのような影響を及ぼすのかを次に示します。

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吟醸香を嗅ぐことで、心の平穏をもたらす。

図 カプロン酸エチルまたは酢酸イソアミルを嗅いだ後は気分が安らぐ
図 カプロン酸エチルまたは酢酸イソアミルを嗅いだ後は気分が安らぐ

香りを嗅ぐ前と後での感情の変化(多面的感情尺度の計測)と、気分の変化(VAS)を調査したところ、ストレス、欲求、抑うつ・不安、敵意、感情の高ぶり、および緊張感の感情や心理状態がカプロン酸エチルまたは、酢酸イソアミルを嗅ぐことで有意に低下することが認められました。

吟醸香を嗅ぐことで、鎮静効果をもたらす。

写真 瞳孔対光反応を計測している様子と瞳孔径
写真 瞳孔対光反応を計測している様子と瞳孔径

瞳孔対光反応とは、光に反応し、瞳孔が一過性に縮瞳(収縮)する反応です。自律神経活動により支配される眼球の筋肉によって起こり、鎮静(リラックス)状態では、副交感神経活動が優位になり、縮瞳率※が大きくなります。
※縮瞳率=(光照射前の初期状態の瞳孔径(D1)-光照射後の最小瞳孔径(D2))/D1
カプロン酸エチルまたは酢酸イソアミルを嗅ぐと、空気やコントロール(エタノール)を嗅いだときによりも、この縮瞳率が有意に大きくなり、副交感神経活動が優位となっていることが分かりました(p<0.01)。つまり、2つの香気成分に鎮静効果が認められました。
次に、2つの香りはどのように自律神経活動に作用しているのか調べました。

図 酢酸イソアミルを嗅ぐと皮膚温が上がる
図 酢酸イソアミルを嗅ぐと皮膚温が上がる
写真 皮膚温(額と指先)を計測している様子
写真 皮膚温(額と指先)を計測している様子

緊張すると、手先が冷えるという生理現象があるように、皮膚温は交感神経活動により支配されています。交感神経活動が高まる、つまり覚醒(緊張)状態であると、末梢血管網の収縮→血流量の低下→皮膚温の低下が起こります。逆に、交感神経活動が抑制される、つまり鎮静(リラックス)状態であると、末梢血管網の拡張→血流量の上昇→皮膚温の上昇が起こります。酢酸イソアミルの香りを嗅ぐと、空気やコントロール(エタノール)だけを嗅いだときによりも皮膚温を有意に上昇させる効果が認められました。このことから、酢酸イソアミルには、交感神経活動を抑えることで副交感神経活動を高める作用があることが示唆されました。一方、カプロン酸エチルには、皮膚温の変化が認められなかったことから、直接的に副交感神経活動を亢進させている可能性が示唆され、2つの香りの鎮静効果のメカニズムは異なることが推測されました。

日本酒の香りで、日常生活に新しいうるおいを。

本試験の結果から、日本酒における吟醸香の存在が、高い嗜好性とあわせて、ヒトの心と体に高い鎮静効果をもたらしていることが明らかになりました。日本のみならず、世界中の人々に日本酒、特に吟醸香を含む香りのよいお酒が好まれる理由の一つとして、このような吟醸香の鎮静効果が発揮され、日本酒の香りを楽しむことで心身のリラックスが期待できるためと推察されます。今回の研究成果を生かして、今後、吟醸香の高い新たな日本酒の開発はもちろん、ストレスの緩和や心身の安定など、日常生活にうるおいや癒しを提供する手段としても日本酒の香りの応用を検討していきます。

学会発表

  • 日本農芸化学会2020年度大会講演要旨集
    「日本酒の香りは生理的・心理的リラックス効果をもたらす」
    ○鈴木佐知子、矢田幸博、竹内美穂、石田博樹

参考文献

  • 矢田幸博:統合生理学的評価法による香り成分や機能性食品の香りの有効性の検討
    Journal of Health Psychology Research Vol.30, Page.259-269 (2018)

(掲載日:2020年3月26日)