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月桂樹の葉をあしらった銚子と盃▲月桂樹の葉をあしらった銚子と盃(月桂冠大倉記念館・蔵)

銚子と徳利
「お銚子一本!」そのルーツは?

酒の文化を知る - 酒器の周辺

「お銚子1本!」という言葉を宴席で聞くことがありますが、たいていは一合(180ミリリットル容)ほどの徳利を想像されることでしょう。しかし、もともと「銚子」とは、あらたまった酒宴や三三九度などの儀式に用いる、長い柄(え)のついた金属や木製の器の ことを指します。宮廷の祝宴で使われた銚子は一箇所に注ぎ口のある片口となっています。大勢で酒盛りをする時など略式では両口のものを用い、左右の口から盃に注いでいました。

もともとの「銚子」▲もともとの「銚子」(手前、長さ48センチ、高さ12.5センチ、幅27.5センチ)と「提子」(後方、長さ22.2センチ、高さ20.8センチ、幅 15.5センチ、いずれも金銅製)。鶴と亀の模様が刻まれており「金銅鶴亀文長柄銚子」「金銅鶴亀文提子」と呼ばれる(月桂冠大倉記念館・蔵)

銚子の変せん―酒補充用の提子(ひさげ)が銚子に昇格

樽から取り出した酒は、「提子」(ひさげ)と呼ぶ上部に取っ手のついた器に移し、「銚子」の酒が足りなくなると酒を加えて補充します。そのため「提子」は「くわえ」とも呼ばれ、銚子の補助的な容器でした。 桃山時代(16世紀末)には、蓋(ふた)付きの提子があらわれました。

蒔絵銚子▲蒔絵銚子(江戸時代後期、月桂冠大倉記念館・蔵)

提子は湯や汁用などにも使われましたが、特に酒用の提子を江戸時代前期から「銚子」と呼び、 直接、盃に注ぐようになりました。天保年間(1830~1844年頃)には、鉄や錫・木製に加え陶製のものが使われはじめました。同じ頃、磁器の使用が広まると、カラフルな色絵や染付けを施した磁製の銚子もよく使われるようになりました。

磁器製の瓢型銚子▲磁器製の瓢型銚子(江戸時代後期、月桂冠大倉記念館・蔵)

徳利が「銚子」と呼ばれるようになった経緯

「徳利」は酒を神棚に供えるための瓶子(へいし)が変化したものです。室町時代にはすでに「とくり」という呼び名がありました。二升、三升もの「大徳利」 が、酒だけでなく醤油や酢など液体や穀物の運搬、貯蔵に用いられていました。

陶製の徳利▲波立杭焼の鉄釉の化粧地に、「ふしみ」(左)、「かさぎや」(右)と書かれた陶製の徳利。地名や酒屋の銘入り徳利は、「通い徳利」「貸し徳利」などと呼ばれ、量り売り(はかりうり)や酒質見本の運搬などに使われた。徳利の大きさは、四合(720mL)前後から一升(1800mL)以上入るものまでさまざま(江戸時代後期、月桂冠大倉記念館・蔵)

江戸時代には一~二合程度の小さな徳利が普及しはじめ、徳利から 直接盃に注いで飲むようになりました。それが明治時代以降には、小型の「燗徳利」のことを、酒を注ぐという同じ機能から「銚子」とも呼ばれるようになったのです。

神酒口(みきぐち)

神酒口(みきぐち)とは、お神酒徳利の口に挿す装飾のことを言います。素材は地域により、竹・ひのき・紙と異なり、さまざまな意匠があります。その由来は定かではありませんが、神前に供える白い紙の装飾・御幣(ごへい)の変形したもの、または神様を迎え入れるアンテナのようなものとも考えられています。

神酒口▲写真の神酒口は杉で造られ、九谷焼のお神酒徳利におさめられている(月桂冠大倉記念館・蔵)

【参考・引用文献】
  • 鈴木規夫「酒器の起源と移り変わり」『徳利と盃』別冊太陽・骨董を楽しむ1、平凡社(1994)
  • 森太郎「日本の酒器」『世界の酒の履歴書』シリーズ・酒の文化第2巻、社団法人アルコール健康医学協会編(1997)
  • 「神酒口」『さかみづ』(月桂冠社内誌)137号(1991年2月)