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朱塗りの三つ重ね盃▲三三九度をはじめハレの日のうるわしい儀礼に用いられる朱塗りの三つ重ね盃。神饌具として用いられるカワラケにならい、薄くて平らな形状となっている(月桂冠大倉記念館・蔵)

酒盃と盃洗
カワラケから磁器の盃へ

酒の文化を知る - 酒器の周辺

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古代の酒杯は素焼きのカワラケ(土器)で、室町期頃まで、酒はおもに土器で飲まれていました。現代でもこれにならって、神饌具として使われる杯として土器が使われます。漆塗りの盃が用いられるようになったのは15世紀頃からで、武家社会では酒盃のやりとりを文化として洗練させていきました。中世の貴族や武家の社会で定着した基本的な献立や作法である「式三献」は、一つの肴の膳と、三口で飲む酒との組み合わせを一献として、これを三度繰り返す儀礼です。神前の結婚式で杯をやりとりして契りを結ぶ三三九度は、式三献をもとにした儀礼で、杯に「三回」注ぎ、その酒を「三口」で飲み、さらに杯を変えて「三度」繰り返します。新年の屠蘇、婚礼の三三九度などの儀式には、現在も蒔絵で吉祥文様を施した朱塗りの重ね杯が用いられます。
磁器の盃で飲むようになったのは江戸時代中期(寛政期=18世紀末)頃から。猪口は会席料理の一品や酒肴を盛り付ける向付(むこうづけ)の器を、酒盃として転用したもので、明治時代にかけて次第に小型になっていきました。盃が小型化したのは、アルコール度数の高い芳醇な酒が造られるようになったこと、酒宴で大盃を廻し飲みする機会が減少したこと、居酒屋の流行や晩酌の定着などが要因とされています。

ぐい呑み▲陶器、磁器、グラス、用いる猪口の種類により、微妙な感触のちがいにより、味わいも異なって感じられる

盃の形と酒の味わい

舌上の部位により、甘・酸・辛・苦・渋の味わいを感じる場所は異なります。また、盃の形、大きさ、傾け方によって唇や舌の形が変わるため、同じ酒でも微妙に味わいが異なって感じられます。土肌の陶器、つるつるした感触の磁器、縁の反ったもの、胴の長いものなど、産地による個性的な風合いや形状の中から、好みの器をさがして酒と合わせるのも楽しいものです。

盃洗(はいせん)

酒席で盃(さかずき)を洗うための水を入れる器を盃洗といいます。一つの盃で酒を酌み交わすことにより心を通わすと考えた日本では、昔から献盃(けんぱい)や、お流れ頂戴(ちょうだい)と称し、盃がやりとりされました。盃洗はその際に用いられるもので、料亭などでは高尚な絵付けをされたものが多くみられました。

漆器の盃洗▲漆器の盃洗、江戸期から明治時代にかけて使われた(直径13.5cm、高さ9cm、月桂冠大倉記念館・蔵)

「盃あらひとして丼に水を入れ」(『寛至天見聞随筆』)とあるように、もともとは大きな鉢や丼を盃洗代わりに使っていたようですが、次第に酒席で映えるように、磁器や漆器による専用の盃洗へと変わっていきました。

「月桂冠」の商標が入った盃洗▲「月桂冠」の商標が入った盃洗は錫製(上部の一辺10cm、高さ10cm、月桂冠大倉記念館・蔵)

漆器に蒔絵を施した盃洗は、台座に丁寧に載せられて宴席に出されていました。同様に、盃を載せるための台座も存在し、盃台と呼ばれています。古来、日本では食の基本となるのは「米」であり、米を原料とするものの中で最も手間をかけて作られるのが清酒です。清酒は米から造られる最も尊いものとして神棚の中央に供えられます。その酒を大切に扱う気持ちの表れとして、酒を介した儀礼、酒盃のやりとりを通じた、うるわしい文化が育まれ、盃台や盃洗などの酒器類も用いられるようになったのです。

朱塗りの盃台▲朱塗りの盃台。猪口に盛った酒を台座に載せ、酒を大切に扱う気持ちを表している

【参考・引用文献】
  • 鈴木規夫「酒器の起源と移り変わり」『徳利と盃』別冊太陽・骨董を楽しむ1、平凡社(1994)
  • 「特集 酒がうまくなる「独酌の友」座右のぐい呑みを探す」『サライ』2000年第21号、小学館
  • 森太郎「日本の酒器」『世界の酒の履歴書』シリーズ・酒の文化第2巻、社団法人アルコール健康医学協会編(1997)
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