地表の水、地下の水
京都で産業や文化を培った豊かな水
京都・伏見を訪ねる - 酒造りと水
山紫水明の都と称えられてきた京都。大地から立ち上る蒸気で、盆地を囲む山々が紫色に霞んで見えます。蒸気は雲となり、雨や雪となって再び地上に降り注ぎます。街をとり囲む三方の山々に降った雨水は野山に浸透し、同時に市街を貫く鴨川、桂川へと流れ込みます。市街の北部に位置する北山通りに比べ、約8キロ南の東寺(教王護国寺、京都市南区)あたりでは標高が50メートルほど低くなっています。この標高差は東寺の五重の塔(約55メートル=基壇を除く最上部の相輪まで)の高さにも匹敵します。川の水はその急勾配を南部の伏見方面に向けて流れています。
京都盆地の地下に大きな水がめ
北から南への水の流れは、地上だけでなく地下にも見られます。川の流れと共に水が地中に浸み込み、少しずつ地下水として貯えられています。河川は長い年月をかけて幾度も流れを変えてきましたが、かつての河道の下にも豊富な伏流水が存在しているのです。
京都盆地の地下には「京都水盆」と呼ぶ琵琶湖に匹敵するほどの大きな水がめが存在し、211億トンもの水を貯えていると関西大学の楠見晴重教授が発表されました。その規模は東西12キロメートル、南北33キロメートルにおよび、南部に行くほど深く、最深部はかつての巨椋池の下で約800メートルになるといいます。この朗報は、これまで京都において豊かな水を背景にした産業や文化が培われてきたことを裏付けるとともに、今後の発展への大きな魅力を秘めています。
地表の水、地下の水、両面での保全
一方で昭和30年代(1950年代後半)に入り、宅地化や道路舗装、地下工事などで地中への降水の浸透量が激減し、地下水量が少なくなってきたといわれます。さらに、地表面に流出した降水は、河川や下水に流れ込むので、地中への水の供給量が少なくなっています。近年の河川は水害を防ぐため直線的につけかえ、コンクリートで固められたものが多く見られるようになり、水が浸透しにくくなっていることが要因となっています。
▲酒樽を利用し、雨水が貯められている(京都市伏見区の御香宮神社)。京都の全ての市立小学校には雨水貯留の設備があり草花への散水に使われている。雨水の恵みを少しでも有効利用し、地中にも還元しようとの試みである
伏見でも、かつて豊富に湧き出していた酒造用の浅井戸が自噴しなくなり、現在では、地下50メートル、100メートルの深井戸からポンプを使って汲み上げています。地表の水にも変化が見られます。港町として栄え、船が行き交った伏見城外堀の濠川(ほりかわ)は、年代を経るごとに川幅が縮小されてしまいました。地下水を守るには地表面や河川まわりの環境整備も大事だといえます。地元では濠川の清掃美化活動が継続され、遊歩道、公園の整備や植樹も行なわれています。地下の水と共に地上の水に恵まれた伏見。水辺の美しさを保全していくことも私たちの大事なつとめなのです。
- 【参考文献】
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- NHK『NHKスペシャル アジア古都物語 京都千年の水脈』NHK出版(2002年)
- 京都市建設局 水と緑環境部 河川課『水鏡』(2003年)
- 栗山一秀「水とともに生きる伏見のまち」『伏見学ことはじめ』思文閣出版(1999年)
- 中川博次「京都盆地の健全な水循環を目指して」(2003年3月23日、第3回世界水フォーラム京都フェアシンポジウム「地下水の未来を考える」での講演)