古代の酒、宮廷の酒
濁酒から清酒へ、宮中に見る酒造りの技巧
酒の産業を知る - 日本酒造史
3世紀末の中国の史書『魏志倭人伝』に「人性酒を嗜む」「歌舞飲酒す」と書かれている酒、あるいは日本最古の書『古事記』(712年)や『日本書紀』(720年)に出てくる「八塩折の酒」(やしおりのさけ)「天の甜酒」(あまのたむざけ)などは、どのような酒であったかは明らかではありません。
清酒(すみさけ)と濁酒
「播磨風土記」(713年)には「大神に供えた神餞(みけ)にかびが生えたので酒を造った」と書かれています。さらに『万葉集』(630~760年)をはじめとした古代の記録には、「清酒」(すみさけ)とか「糟」(かす)ということばがしばしば出てきます。何らかの方法で発酵したもろみを濾し、「糟」(かす)を分けた「浄酒」(すみさけ)もすでにつくられていたことはたしかです。ただし、古代庶民の酒はあくまでも「濁酒」であり、そのつくり方は、今日の清酒醸造法とは類型を異にするものでした。
宮廷の酒
10世紀、酒は宮中に設けられた「造酒司」(みきのつかさ)で、四季折々にいろいろな酒がつくられ、貴族たちの間で飲まれていました。
▲平安京造酒司(みきのつかさ)倉庫跡、高床式倉庫の柱があった跡をタイル貼りで表示している(京都市中京区聚楽廻松下町の京都アスニーと京都市中央図書館の敷地)
『延喜式』(905~927年、平安期、宮中での儀式や制度の規定書)には朝廷における酒造法が詳しく記されています。たとえば、いったん発酵の終了したもろみを濾し、この酒に、さらに蒸米と米麹を入れて再発酵させ、再び濾すという「シオリ」法でつくられる「御酒」(ごしゅ)。あるいは 水の代わりに酒を用い、こうじの量を多くし、甘味を強くした「醴酒」(れいしゅ、ひとよざけ)。毎年、秋の新嘗祭の節会酒として、水を少なくし、濃厚甘口とした「白酒」。それに久佐木(くさぎ)の灰を加えた「黒酒」(くろき)。その他、麦芽も併用した「三種槽」(さんしゅそう)。もろみを臼で磨った「すり槽」など、10種類にも及ぶ多種類の酒が記されています。
12世紀、もろみを濾さないで、その上へ蒸米,米麹(こめこうじ),水を重ねて加えていく「トウ」と呼ばれる醸造法が開発されました。「御酒」もこの方法でつくられるようになり、これが次第に、酒づくりの主流となっていきました。
- 【出典】
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- 栗山一秀 「世界の酒―その種類と醸造法、歴史と本質と効用―」 『アルコールと栄養』 光生館 (1992年)
※本文は著者の了承を得て、敬体の文に変え掲載しています。
- 栗山一秀 「世界の酒―その種類と醸造法、歴史と本質と効用―」 『アルコールと栄養』 光生館 (1992年)