今日の酒造りの原型
酒産業の企業化へ飛躍的な発展、酒造技能の高まり
酒の産業を知る - 日本酒造史
中世頃には、今日の酒造りのもとになる手法が見られるようになります。麹米にも仕込み用の掛米にも精米した白米を使う「諸白づくり」(もろはくづくり)、本仕込みに入る前に酵母をあらかじめ培養する「酒母」(しゅぼ)、何度にも分けて仕込む「とう法」、もろみを圧搾して酒粕を分離することによる清酒づくりの普及、低温で加熱殺菌する「火入れ」、大型の木桶や木樽による大量生産・大量流通など、企業化につながる革新が見られます。特筆すべきは、フランスの生化学者、ルイ・パスツールによる低温殺菌法の開発(1876年)より300年も前、火入れによる加熱殺菌の技術が日本の酒造りに取り入れられていたことです。
酒造りが飛躍的に発展
15世紀、『御酒之日記』『多聞院日記 』などに示されている「諸白づくり」が開発され、それまでのつくり方から大きく飛躍、今日の醸造法の原型となりました。その特色は次の通りです。
【1】使用するこうじ米、蒸米すべてに白米が使われるようになったこと。これが「諸白」(もろはく)という言葉の由来。麹米だけを玄米とした従来の酒はこれに対し「片白」(かたはく)と称した。ただし、白米といっても、現在からみればその精白度はまだきわめて低いもの。
【2】もろみを発酵させる酵母を前培養する「酒母」(しゅぼ、もと)という考え方が現われ、いろいろな方法による酒母が開発され、もろみの発酵がより安全になったこと。
【3】「とう」法によるもろみ仕込み(発酵中のもろみに蒸米、こうじ、水を投入することを何度もくりかえす方法)が定着し、今日の「三段仕込み」が確立されたこと。
【4】発酵の終わったもろみを酒袋に入れ、圧力を加えてしぼり、粕を分離して清酒をつくることが普及したこと(これによって、濁酒と清酒とがはっきり区別されるようになった)。
【5】できた清酒を「火入れ」(低温で加熱殺菌)し、貯蔵することが始められたことです。これは、1876年のパスツールによる低温殺菌法の発明より300年も前のことで、微生物という概念も温度計さえまだなかった時代だけに、驚嘆に値する。その後、この火入れ法の進歩と普及が冬だけの酒づくりを可能にした。
【6】杉と竹輪で大型の木桶がつくられるようになり、それまで壷やかめを使っていた醸造規模を、飛躍的に大きくしたことです。また、こうした木製容器の出現によって、それまで酒の輸送容器として、壷やかめが使われていたのに代って、杉で造った4斗樽(72リットル)が普及していきました。これによって、大量生産や大量流通も可能となり、以後、酒造業が企業化する因ともなった。
- 【参考・引用文献】
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- 栗山一秀 「世界の酒―その種類と醸造法,歴史と本質と効用―」 『アルコールと栄養』 光生館 (1992年)