古壷新酒
真の伝統とは創造と革新により進化し続けること
酒の産業を知る - 酒文化論・技術論
酒造りはひたすらすぐれた伝承を受け継ぎながら、常に革新を重ねて発展してきました。「真の伝統」とは伝統の本質を見定めた上で、常に革新していく。かつて伝統俳句の灯を高くかかげた巨匠・高浜虚子はこれを「古壷新酒(古い壷に新しい酒を盛る)」と表現しましたが伝統を重んじる日本酒にとってもきわめて示唆に富む言葉です。
語り手:栗山一秀。1926年生まれ、月桂冠元副社長。
出典:『日本醸造協会誌』(巻頭随想)86巻(6号)、P85(1991)より
ここ10年あまり、学生への講義をはじめ、流通業界、経済界、消費者団体などいろいろな集まりで酒についての講演を頼まれる機会が随分と増えてきた。そうした折の質疑応答のたびに、日本酒はきわめて身近な商品でありながら、いかに誤解が多いかということを痛感している。とくに、今日のように酒という商品が国際化した中にあっては、お互い日本酒の本質をもっと理解し、伝統ある酒造りについて、何が「真の伝統」かを理解すべきだと思うようになった。
たとえば、同じ醸造酒でありながら、ワインにヴィンテージがあるのに、なぜ日本酒にはないのかという素朴な疑問がある。ワインの場含は「ブドウのポテンシャルをいかに引き出すかが醸造の役割であって、醸造技術がワインをつくるのではない」(浅井昭吾*)。これに対し、日本酒の場含は、原料である米の性質よりも、むしろ各工程の技術如何が徴生物の挙動にまで大きな影響を与えてしまう。この根本的な相違がその理由だといえよう。
またワインは、古代から現在に至るまで秋のブドウ収穫期にだけ造られてきたのに対し、日本酒は古代から神や祖霊をまつるため、一年を通じ、そのたびに「待ち酒」を醸造してきた。それが時代と共に四季の気侯にあわせた醸造技術を生み出すようになり、中世には春酒、菩提、彼岸酒、新酒、間酒、寒前酒、正月酒など季節により造り方も香味もそれぞれに違う酒を出現させていった。
その後、いろんな事情から江戸中期以降は、寒造り技術が発達、明治以降はこれが主流となって今日に至っているが、歴史的にみれば四季醸造体制こそむしろ日本酒本来の姿であると思い、30数年前、私共は本格的四季醸造技術を開発したが、最近の杜氏不足という状況の中で漸く評価されるようになってきた。
このような新しい技術の話をするときまって反論がくる。日く「日本の酒造りは伝統産業であり,情緒的な伝承技(わざ)こそ本流だ」というのである。たしかに、商品イメージとしては「昔ながらの手づくり」などという言葉は好ましい。
しかし、人間が自ら手を下す工芸品などとは違って、日本酒は徴生物が縦横に働いてつくる醸造物であり、昔のままの手法を守ろうと、最先端の技術を駆使しようとあくまでも微生物の働きによって酒が出来、その酒質がきまることは大昔から何ら変わりはない。
また、二千年にも及ぶ酒造りの歴史をひもとけば「真の伝統」というものが何であるかは、次第にはっきりしてくる。酒造りは、大昔から先人達の築きあげた伝承にとどまることなく、多くの人々の血のにじむような試行錯誤によって革新をくり返し、次々と創造を生み、着実に進歩してきた。その結果「もっとも新しい方法」で「もっとも伝統的な酒」が生み出されることにもなる。
この伝統ということに関しては、同じようにきわめて伝統的だと思われている俳句について、斯界の重鎮・阿波野青畝は「伝統を大切にするとは、伝統の精神を生かし新しく伸びる努力をすること、この新しく自由に伸びることを怠って徒らに旧きを守っているのはむしろ危険なことである」と警鐘を鳴らしている。また巨匠・高浜虚子も「古壷新酒」という言葉をとなえた。「俳句というのは、季節をあらわす季語とか五、七、五の定型という伝統的な制約(古壷)の中にありながら、その内にある句は常に新しい感性によって生まれる詩(新酒)でなければならない」というのである。 伝統ある日本酒に関係する我々にとって、この言葉は大きな示唆を与えてくれる。
(*)浅井昭吾:ワインコンサルタント、エッセイスト(内容3)