酒どころ伏見の大祭
御香宮神社「神幸祭」、三栖神社「炬火祭」
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御香宮「神幸祭」
神幸祭の神輿巡行前日には花笠行列が、神社と大手筋商店街辺りを中心に繰り広げられる。花笠は各町内の厄除けをする神事。すでに室町時代に見られ、江戸時代には各地区で山鉾のような練り物を考案して出した。風流燈篭練り物と言われ、1762年(宝暦12年)には「占出山」という祇園祭りに匹敵するような曳き山が出始めたという。
このようにバラエティに富む大規模な祭礼であることから「洛南の大祭」とも称される。
伏見の秋の風物詩、御香宮神社の「神幸祭」(しんこうさい)は同社が京都伏見全町の総氏神であることから「伏見祭」とも呼ばれ、10月上旬に開催される。祭礼のクライマックスは3基の神輿(みこし)の巡行。かつての伏見奉行が寄進した雌雄の獅子、猿田彦、神輿、乗馬の宮司といった昔ながらの出で立ちで町々を練り歩く。祭礼中、御香宮境内にある明治時代築の能楽堂では神能が舞われる。京都南部一帯では古くから芸能が盛んで、すでに平安時代、神社で猿楽(能・狂言のもとになった滑稽芝居)が行われていた。
三栖神社「炬火祭」(きょかさい)
直径1メートルもある大きなタイマツを燃やしながら、神輿を先導して練り歩く三栖神社の炬火祭は、毎年10月上旬に催される(夜8時タイマツに点火)。「のちに天武天皇となった大海人皇子が、天智天皇の子・大友皇子と戦った壬申(じんしん)の乱で、援軍が三栖を通過した時、かがり火を焚いて村人が歓迎した」「天武天皇が大津京への行幸にあたり立ち寄られた際、暗夜を照らした」などの伝説に由来する。
▲竹田街道・京橋路上(京都市伏見区)で、天をこがすような炬火祭の大きな炎が上がる
祭りの中心となる三栖周辺には、宇治川の河岸や、かつては横大路沼などがあり、そこで刈られる特産の葭(よし)を使った簾(すだれ)や蒸籠(せいろ)づくりが盛んだった。この葭でつくったタイマツにより、竹田街道の中書島から京橋あたりで巨大な炎が立ち昇る豪壮な祭礼である。京都市登録無形民俗文化財の48号に指定されている。
- 【参考文献】
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- 山本眞嗣『京・伏見歴史の旅』山川出版社(1991年)
- 伏見区老人クラブ・編『伏見風土記』第二集(1997年)