涼風を呼ぶ酒
キリリと冷やし、氷を浮かべてオンザロックで
酒の文化を知る - 酒の歳時記
古代の貴族たちは、氷室(ひむろ)から運び出した氷でオンザロックを楽しんだ。現在では、香り高く淡麗な風味の吟醸酒や、フレッシュな風味の生酒が普及するなど、季節を問わず冷やして飲まれることが多くなった。クラッシュアイスに冷やした酒を注ぐ。レモンを1~2滴たらす。スダチをしぼるのもいい。蒸し暑い夏も、ちょっと工夫すれば涼やかに楽しめる。
著者:栗山一秀。1926年生まれ、月桂冠元副社長。
出典:「日本酒のこころとかたち」『酒販ニュース』醸造産業新聞社(1996年6月21日)より
氷室(ひむろ)の氷酒(こおりざけ)
夏は酒を冷やして飲みたくなるもの。古代、貴族たちにはそれができた。日本の酒のオンザロックという飲み方も、ずいぶんと古い歴史がある。「氷室(ひむろ)の氷、熱き月に当たりて、水酒に浸して用(つか)ふ」(日本書紀)とか、「六月、七月、宮中では醴酒(こさけ)を造り、山城(やましろのくに)や大和国(やまとのくに)の氷室の氷を用いて天皇に供する」(正倉院文書)などの記録がある。
奈良朝の悲運の皇子・長屋王の屋敷跡から発掘された木簡からもこれが確かめられている。雪深い山中から切り出した氷を、冬の間に氷室に埋めておき、夏になって一塊ずつ大勢の人によって都へ運び出すという大仕事によってはじめてできる大変な贅沢。庶民にとっては、まさに高嶺の花のような氷酒だった。
冷用酒
いまから70年も前の昭和初期、ようやく一般家庭へびん詰商品が普及するようになった。ちょうどその頃、毎日氷を買って入れる家庭用冷蔵庫というものが普及し始めた。もちろん今の電気冷蔵庫とは比べものにならないぐらい効率の悪いものだったが、それでも当時としては結構重宝された。
そんな頃、「冷用酒」というのが大々的に売り出された。当時のチラシには、団扇(うちわ)片手に浴衣(ゆかた)がけで床几(しょうぎ)に腰をかけ、蚊取線香を焚きながら、グラスに注いだ冷用酒を酌み交わしている絵が描かれている(写真)。 「冷用美酒」とうたった月桂冠の宣伝コピーには、「この酒は井戸に吊るすか、冷蔵庫に入れ、冷やして飲むべし。とくに肴とて必要ないが、果物などもよろしかろう」と説明しているところがおもしろい。しかし、こうした「冷用酒」が人々の間に広まりかけた矢先、日本は戦争時代に突入、原料米が急激に不足すると共に統制もきびしくなって「冷用酒」はたちまち消えてしまった。
戦後、日本酒の消費と生産が増大するにつれ、冷やして飲むタイプの酒が再び現れ、広まるようになった。涼しい色や形をした容器、さわやかな香味の酒が出現。電気冷蔵庫が普及し、キリリと冷やしたり、オンザロックも簡単に出来る時代となった。 今では、クラッシュアイスに冷やした酒を注いでシャーベット状にしたり、冷やした酒にレモンを1~2滴たらすとか、スダチをしぼるのがいいという人もいる。蒸し暑い夏も、ちょっと工夫すれば涼しそうな飲み方ができる。
冷やし酒 夕明界と なりはじむ (石田波郷)
▲冷用月桂冠
冷や酒(ひやざけ)と生酒(なまざけ)
古代日本の酒というものは、すべてしぼりたての生酒であり、冷やで飲むものであった。ハレの日、神々に捧げ、神と人とが共に酌み交わすため「かもしもうけて待つ」「待ち酒」であった。すぐに腐ってしまうので、そのたびに造り、その場で飲み干してしまうものだった。
室町時代になると「火入れ」という加熱殺菌を行って酒を貯蔵する方法が考え出され、江戸中期以後、酒は冬だけ造って貯蔵し、それを一年かけて飲むように変わり、次第に「生酒」を飲むことも少なくなっていった。 しかし近年は、香りの高い、淡麗な風味の「吟醸酒」が増加すると共に、しぼりたてのフレッシュさを楽しむ「生酒」も普及し、季節を問わず、冷やして飲むことが多くなってきた。
美しき 緑走れり 夏料理 (星野立子)
華やかな句会の後の宴席であろうか。余韻冷めやらぬ人々に、涼しげで美しい料理が並ぶ。こんな席こそ、すがすがしく優しい冷酒の香りがぴったりだ。