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月とお酒をめでる会

月見の酒
神々に豊作を感謝し、神と酌み交わす

酒の文化を知る - 酒の歳時記

たわわに稔った稲の初穂、里芋、枝豆、団子と共に、新米で醸した酒を供え、神々に豊作を感謝し、神と酌み交わす月見酒。日本人は自然と心を通わせ合いながら、季節の酒を楽しんできた。
著者:栗山一秀。1926年生まれ、月桂冠元副社長。

月祀り(つきまつり)

月が全く出ない夜というのは恐ろしい鬼や魔物の住む闇の世界で、古代人にとって何よりも怖いものだった。人々はひと所に集まり、一晩中騒ぎまわって闇の恐ろしさを紛らわしたという。それだけに明るい月がのぼって、 こうこうと住まいの中まで照らしてくれる夜は、どんなにか安らいだことだろう。
『古事記』や『日本書紀』には、イザナギノミコトの左眼から大陽神・天照大神(あまてらすおおみかみ)が生まれ、右眼からは月読命(つきよみのみこと)が生まれたと記されている。月の満ち欠けを暦代わりにして農耕を営んでいた古代人にとって、月は農耕の神、信仰の対象であり、月に寄せる想いは深いものがあった。
陰暦9月13日には宵から姿をあらわす月のもと、秋の収穫を神々に感謝する「月祀り」が行なわれ、酒を神と酌み交わして楽しむ風習が生まれた。

二つの月見

中国では古来、陰暦8月15日を「仲秋節」とし「観月の宴」を催していた。これが奈良・平安期の日本に伝わり、宮廷では9月十三夜の「月祀り」と共に、二つの月見が催されるようになった。種々の供物を供えて名月を賞で、月見酒を酌みながら、詩歌管弦、舞楽、歌合せなどを行い、あるいは風流な前栽(せんざい=庭の植え込み)をつくり、広大な池泉に船を浮かべて月見をするなど、洗練された風雅な遊びと化していった。

縁側徳利

月見酒

鎌倉・室町時代になると武士が台頭し、庶民も次第に力をつけるようになって、月見の風習は武家や庶民へとひろがり、再び古代の農耕儀礼と結びついた風習にかえっていった。
たわわに稔った稲の初穂(これが後にススキに変わったといわれる)、里芋、枝豆、団子と共に、新米で醸した酒を供え、神々に豊作を感謝し、月見酒を神と酌み交わす行事が定着した。
その後、月が出る前に空が明るくなる「月白」(つきしろ)は、仏達の御来迎だと考えられるようになった。十五夜から日がたつにつれて少しずつ欠けてゆく月を神聖視し、次第に遅くなる月の出を、十六夜は「いざよい」、十七夜は「立待」(たちまち)、十八夜は「居待」(いまち)、十九夜は「寝待」(ねまち)などと称し、ひたすら月を待つしきたりが生まれた。
こうして日本人は自然と心を通わせ合い、月見酒を楽しんできた。